3話 古本は紙魚の骨を食べるか -7-

戦慄と恐怖で思考が乱れそうになる。
 いや、まだ手はある。
 わたしはあきらめない、とあの日心に決めたのだから。
「三ノ宮さん本が置いてあったテーブルはどこ!」
「え、あはいこっちです」
『レナートさん!』
 わたしは能力を全開にして最大強度で放つ。
『……お嬢さんか!まったくもってトラブルに好まれるな君は!』
 ユークリッド幾何学原論の付喪神レナートさんからの返事がある。よし!まだ!
『そんなことはいいですから――本はどこかわかります?』
『―――すまないお嬢さん……目くらましをかけられた……だいたいその窓際700〜900の本棚のなかにいるということしかわからんのだ!』
『広すぎる……』
 くそっ、ここまで来て――
「先輩、テーブルはここですけど――」
 後ろをちらりちらりと見ながら三ノ宮さんは不安げに言う。
 わたしはひとつ深呼吸して息を整える。
「いい、件の本はそこの窓際の棚700〜900の中のどれかよ、あなたしか実物見たことないからなんとしてでも探し出して!わたしはあいつをなんとかしてみるから」
 さあ、最後の勝負と行きましょうか……相手は手負い、やってやれないことはない。
「先輩……その、そこらへんの棚にあるのは間違いないんですか?」
「そう、理由は今は説明している暇ないけど」
「もしかして楽勝でまだあの鬼に勝てたり……」
「するんならこんなに焦ってるわけないでしょ!いいから早く――」
 三ノ宮さんの顔を見て、わたしは喋るのを止める。なんでそんな――
「……でもやっぱり先輩はすごいです。先輩のおかげで決定的な場面で使えます。あとは、私にまかせてください」
笑顔で。

「私は、ただ刹那、運命の頂きに―――立つ」

 瞬間、三ノ宮さんの雰囲気が目に見えて一変した。
 目が、離せなくなる。なんで、こんなに――どこまでも儚げで、優美に―ー?
 とても一瞬前までと同じ人間とは思えない。あまりにも、あまりにも神秘的、まるで彼女が本を読んでいる姿のよう――『窓際の君』と呼ぶにふさわしい美しさだった。
「六十」
 そう呟き、彼女は迷いなく本の森に歩みを入れる。
「五十」
 ある棚の前で止まると、無造作にそこから一冊の古そうな本を取り出す。
「ありました。ええっと――ー」
 嘘……。そんな簡単に―ー
 しかし現実に、こちらに本を読みながら彼女は歩いて来る。
 !しまっ――いつのまにか距離をつめた鬼がたちふさがるわたしを無視して、机を飛び越え、彼女に踊りかかる。気づく。恐ろしいことに鬼の傷が再生しつつあった。片腕こそ生えていないが徐々に削れた半身が再生している。
 こんなのどうしろって――
「四十」
 三ノ宮さんはその様子が目に入っていないのか、全く意に介さず、よけるそぶりも見せない。
 鬼の攻撃は運良く三ノ宮さんにかすりもせず、そのまま通り過ぎる。
 しかし振り返って床を蹴り、再度の跳躍、しようとしたところで、何もないところで足をもつれさせて無様に転んだ。
 そのまま近くにあった机に頭から突っ込んで派手な音を立てる。

 ―――なにかありえないことが起きている。

「三十――ああもう、ちょっと静かにしていて下さい」
 三ノ宮さんは本を読みながら、肘にはさんでいたボウガンを片手で構えると、を何気なく鬼の方にむけ、本に視線をやったまま、狙いを定めもせずにトリガーを引く。
 ありえないことにその矢は防御しようとかざした鬼の手の隙間をくぐりぬけて、見事に鬼の脳天に突き刺さった。
 鬼が無言で倒れ伏す。

 ―――なにか物凄いことが起こっている。

「ありました、ええっと『ひふみよいむなやここのたり・還りませ・還りませ・紙の彼方へ・たしかにあなたをつかまえた・布留部布留部・無為なる彼方・無為なる彼方・由良由良都布留部』」
 彼女が韻を踏んで見事に唱え終わると、本が中に浮き、ゴウ、とどこからか風の吹く音がした。ページが静かに、しかし大きく開く。
 そして開いたページから溢れ出した、黒い触手が鬼にむかって数百本、いや数千本――圧倒的な質感と力強さをもって鬼を絡め取る。
 頭の矢を抜いて立ち上がろうとしていた鬼は、抵抗しようとするものの、何千本の蠢く触手に絡め取られ、体が全て埋没していく。
 そして、フィルムの逆回しのごとく黒い触手は本に一つ残らず戻っていき、バタン、と本は音を立てて閉じた。ゴウゴウと吹いていた風も同時に停止する。
「十―――十秒余りましたね」
 空中から落ちてくるほんを両手で受け取り、三ノ宮さんは呆然とその様子を見つめるわたしにむかって、にっこりと微笑んだ。

                         ◆

 わたしは屋上のドアを閉める。
 普段は屋上には鍵がかかっているのがこの学校の常だが、今日は例外だ。
「で、結局どういうふうになったわけ?」
 その例外の原因の男――緑丘和真にポッキーの箱を放り投げつつ、話しかける。
 なんでコイツは屋上の鍵なんて持ってるんだろう……いや、みなまで言うまい。
「ああ、どこかの変質者が学内に押し入って床などを破壊して帰ったことになった。幸い死傷者はなし、だしな」
 そう、死傷者はなし、である。よかったよかった。
 ついでに封を切ったポッキーを一袋要求する。
 あのあと、鬼に喰べられた人が続々とこちらに戻って来てどうしたもんかと悩んだのは内緒だ。結局面倒くさいことになりそうだったので、誰も外傷もなかったことだし、目を覚まされる前に帰った。
 三ノ宮さんは渋っていたが、わたしがどう説明する気?という質問をするとやっぱり私も帰りますと言った。正直が一番である。
 もちろん、学校を出てすぐ、和真に連絡は取ったのだが。
「校舎に残っていた人間はお前と三ノ宮優羅を除いて生徒教師含めて10名。時間も時間だったしこんなもんだろう。いずれも放課後以降の記憶自体が曖昧だ。面倒くさい事態にならずにすんで何よりだな。まあ、記憶を保持していたとしても、信用はされんだろうが……というかな。お前が壊した床とか壁の傷とかのほうが誤魔化すの大変だったんだが」
 愚痴る和真。むっとしたわたしはすかさず言い返す。
「学校にあんなもの置いてるあんたが悪い……そうよ、何よあのロッカーの中身!ギャグとしか思えないものまで入ってたじゃない!あんたのチョイスは訳がわからないわ」
「お前な……まさか本当にC4まで使うとは思うか!あれは本来建造物破壊用で、化物相手に使うもんじゃないぞ!」
「ほーう!和真さんはわたしにテロリストになれとおっしゃいますか」
 わたしはポッキ―をサーベルのようにして和真にむけて突き出す。
「そーいうことじゃない・・・だいたいだな、もっとまともな戦い方があるだろ。ナイフで切りあう?よくもまあ5体満足で帰ってこられたもんだと呆れたぞ」
「なんとかなりそうだと思ったんだからしょうがないじゃない!」
 ぎゃーぎゃーと言い合うわたしたち。双方ともにただの不毛な言い争いとわかっているので、これは会話のキャッチボールにすぎず、本当に怒っているわけでは決してない。……多分。
「でだな、お前のクラスの白倉未亜の件だが―ー」
「ちょいまち、なんであんたがその話知ってるの?」
 わたしは素朴な疑問を差し挟む。
「この件に関係有るからだ。いいか、今回の事態の原因3人組みのうちの一人、沢渡恵が、白倉未亜をストーカーしているようだ」
「はへ?」
 思考が止まる。ああ、ポッキーを根元から折っちゃった。
「お、女の子だったの?」
「沢渡恵と白倉未亜は同じ中学で同じ部活だったらしいな。聞く所によると怪しいくらいべったりだったそうだ。高校になってからはクラスが違うこともあって疎遠になっていたそうだが」
「あーわたし完全に男とばっかり……」
「まあ聞く所によると、憑き物がおちたみたいな様子だから大丈夫なんじゃないかね。一応俺のほうでもチェックはしておくが」
 和真は黙々とポッキ―を一袋食べ終わっている。もうちょっと味わえと思うがまあ人それぞれだろう。
「あーそう……うんまあ世の中信じられないことが多いってことがよくわかった」
 教訓、思い込みは危険である。
「本のほうはどうなったの?なんか例の対魔機関にコネがあるとか言ってなかった?」
「それなんだがな・・・・・・なんかほとんど力もなくなってることもあってか、歴史的価値も鑑みて処分ではなく、封印だそうだ。まあ妥当な線だろう」
「よかった・・・・・・やっぱり燃やされちゃうのは忍びないよね。話し掛けても返事なかったから死んだのかと思ってたけど・・・・・」
「お前な・・・・・・よくもまあ殺されかけたのに相手の心配なんかできるな」
 うーん、わたしにとって付喪神の精神と人の精神はほぼ等価値なせいもあるのだろう。そうでないと鈴華に悪い。
 昨日夜遅くに家に帰ったとき、怒られずに泣かれたのには参った・・・・・・最後は連絡の一つもしなさい、この大馬鹿娘といつもの調子でなじられたので安心したけど。
「でさ、あんた前に学校の能力者の有無は全員チェックしたとか言ってなかった?チェック漏れ?」
 気分を切り替えるために、わたしは唐突に話題を転換する。
「………すまん、その通りだ。話を聞く限り、彼女の能力はかなりon,offがはっきりとしたもんだろう。常態がoffでしかもそれはまったく彼女の場合一般人と変わりないということを意味する。……俺のセンサーにはひっかからなくても不思議はない」
「ふーん……彼女の能力の正体ってなんだと思う?超幸運?」
「本人に聞け……といいたいところだが……坂下、多分お前の認識よりかなりアレはやばいそ。下手をしたら最強かもしれん。なるべく使わせるな」
「へ?でも1分間だけっぽいよ?それに一週間に一回だけって言ってたし、副作用とかももほとんどないって」
 和真は真剣な顔でこれは俺の推測だが、と前置きして
「彼女の能力はだな、因果律を歪める能力だ。いいか、世界が全ての力をもって彼女に有利になるように働きかけるんだ。これはとんでもないぞ?多分、1分間なのはそのくらい短くないと世界のほうが壊れてしまうからだろう……こんな能力が副作用がないわけがない。……まちがいなく隠してるぞ」
「そう、やっぱりいい娘なんだ……友達にはなれないな」
 わたしは悲しげにそう呟く。
 和真は首を傾け、わたしをじっと眺めると、
「………まあそう言うと思ったので呼んでおいた」
 と言った。
「……へ?」
 バタン、と屋上のドアが閉まる音。
「わー本当に開いてる……あ、こんにちわ先輩、お元気そうでなによりです!」
「和真……」
「能力者だしちょうどよかろう……本心ではそう思ってるんだろ?ちなみにお前の特性は説明しておいた」
 わたしは和真を睨みつける。意に介さないといった風情だ。
「……おせっかい焼き」
 そう漏らしたわたしに、
「知らなかったのか?フィクサーはそう言う職業だ」
 和真はニヒルに笑ってそう答えた。
 先輩いっしょにお昼たべませんかーという声を聞きつつ、わたしはその憎たらしい同級生の手から、最後のポッキ―を奪った。