3話 古本は紙魚の骨を食べるか -4-

「あのう…、どこにむかってるんでしょう?」
 前を歩くわたしに『窓際の君』こと――三ノ宮 優羅(自己紹介してくれたのでようやく名前を知った)さんがそう訊いてくる。
「ん?とりあえずこのままだと校舎から一歩も出られないし、反撃するにしても準備が必要でしょ?あなたの話からしてその3人のおかげでこんなことになったのは確定みたいだし」
 はあ、などと小首をかしげる三ノ宮さん。小動物的可愛さだ。
 あの後、とりあえず階段の踊り場から移動し、廊下を歩きながら彼女から聞き出した話はこうだ。

                         ※

 放課後、図書館で、三ノ宮さんはお目当ての本を探して、かなり図書館の奥、ひとのほとんどこない寂れた棚まで来ていたらしい。
 で、とりあえず近くの椅子に座って、本を読み始めたらしい、しかし、その本が予想以上にそれがつまならく、次第に船を漕いでそのまま閉館時間――というか電気が消えてたというから驚きだ。誰か起こしてやればいいのに。
 まあ気づかれなかっただけという話もあるけど。
 で、あわてて本を戻して帰ろうとしたところで、電気の消えた図書館内に人の話声が聞こえてきたそうだ。なんだろうと思ってそちらを伺うと、テーブルの上に一冊の古そうな本を置き、それを囲むように3人の女生徒がなにやら小声で言い合いをしていたらしい。
 なんとなく出て行くのが憚られた三ノ宮さんは、棚の影から様子を伺うことにしたらしい。
『ねえ、やめようよ……』
『いまさら何言ってんの、これ絶対マジモンよ』
『でも、まさか本当に見つかるなんて――』
『何?ビビってるわけ?あんたが一番乗り気だったじゃない』
 耳をすませるとそんな会話が聞こえてきたらしい。
 そして、そのうちのリーダー格らしき人物が本を開いて、
『ええっと……めしいのおにさまねがいます。わたしたちのねがいをおききください。えるふとらゆらゆ・たなかるないみ・たなかるないむ、あなたのあそびにおつきあいいたします、へるふへるふ・へたなかのみか・せまりえか・せまりえか・りたのここやなむいよみふひ』
 その瞬間、空気がたしかに変わった―――
と三ノ宮さんは証言している。
 そして、奴は本から現れた。

                         ※

「でも、よく逃げられたね」
 わたしはあいつの異様な姿を思い出しながらそう質問する。あれは日常生活を送っていると絶対遭遇しないインパクトがある存在だ。よく腰が抜けなかったもんだと感心する。
「私、忍び足とか得意なんです」
「いや、そう言うことではなくて」
 真面目にそう答える三ノ宮さんにわたしは思わずツッコミを入れる。
 ……どうもこの子はちょいとズレてるような気がする。
 そういえば出られない、ということを確かめてみせた折にも、ドアノブをじっと見つめてなにやら真剣に悩んでいる様子だった。
 まあ、泣き叫ばれるよりはずいぶんいいんだけど。
「でも私、あの人達見捨てて――」
「気にすることはないんじゃない?あなたはどちらかといえば巻き込まれたんだし。――ー3人とも?」
「……はっきり見たわけじゃないですけど、一人は確実に頭から丸呑みされてました…」
 やれやれだ。
 しかし、物理的危険というのは実に久しぶな気がする。いつ以来だろう……と漠然と考えているうちに、目的の場所に到着した。ポケットからキーホルダーを取り出すと、鍵を選って鍵穴に差し込む。
「……あのう……なんで歴史資料準備室の鍵とか持ってるんですか?」
 三ノ宮さんから、まあ当然質問が飛んでくる。
「あーその、まあいろいろとね?」
 答えになってない答えを返すと、わたしはひんやりとした空気の歴史資料準備室に踏み込む。部屋の中はよくわからない掛け軸や、地球儀、模造紙の束、何か良く分からない船の模型など、物であふれている。年に一回使われればいいものや、カリキュラムの変更で使われなくなってしまったものまで様々な資料で溢れ返っている。
 わたしは首を巡らし、目的の物を発見した。
「あ、閉めといてね。なるべく静かに」
 部屋の隅にひっそり打ち捨てられたように佇む金属のロッカー二組。
わたしはその前に立つと、再び鍵束から鍵を探し出し、左側のロッカーに差し込む。
「わりと固い鍵ね……よっと」
 思ったより固かった鍵を回し、これまた立て付けの悪いロッカーの扉を開く。
まず目に入ったのは、ロッカーの上から金具で無造作に釣られた、黒い金属製で無骨なフォルムのクロスボウだった。
 見るからに凶悪な面構えで、ロッカー内に鎮座している。
「さすが和真。最初からいきなり飛ばしてくれるわ……」
 そう、これは和真から『なにかあったらここのロッカー使え』と言われていたものなのだ……(歴史資料準備室の鍵とセットでくれた)それはいいけどあいつは学校で何する気だったんだ?
 とりあえずクロスボウ(スコープ付き)を外に出し(結構重かった)、まだいろいろ出てきそうな怪しげなロッカーをがさごそと漁る。
「あの、これってボウガンに見えるのですが……」
「うん、まあボウガンとも言われるわね」
 そうあいずちを打ちつつ、さらに中を探る。
「ん?ボイスレコーダー?」
 下のほうにある、何かの箱の上にちょこんと棒状のボイスレコーダーが置いてあった。
 わたしはそれを手にとると電源を入れ、おもむろに再生ボタンらしきものを押す。
『この音声ガイダンスは坂下空音さん用に作られており、もしそれ以外の人物がこのガイダンスを聞いている場合は即刻このボイスレコーダのスイッチを切るように……』
 ……無駄に手が込んでいる。
「先輩、どうしたんですか、そんな怪しげな宗教テープみたいなのを一生懸命聞いて……?」
「え?怪しげなって………あ」
 これ、日本語じゃないのか。わたしの能力は意図的にOFFにはできるものの、通常は軽くONが常態なので気づかなかった。なるほど、確かに『わたし向け』だ。
「あーいいのいいの、一応ちゃんと理解できてるから」
「はあ……」
 わたしはテープの声に耳を傾ける。
『さて、とりあえずロッカー内にあるものを順に説明していこう。まずもう目に入っていると思うが、そのボウガンだ。使い方は右下の青い箱に冊子が入っているからそれを参照するように。コッキング式で強力だ。矢もその中に入っている。次に――』
 説明が淡々と続く。ところでこのアラビア語(多分)を喋っているオジサンは誰だ。中年のえらく渋い声なんだけど。
 まあそれはともかく、説明にしたがって中を改めていく。ピッキングツールにライター、ナイフ一式セット、工具セット、強力接着剤、発煙筒、伸縮式警棒に、スタンガン、催涙スプレー、まきびし……まあよく揃えたもんだ……んで、こっちが……オカルト?……清めの塩とかとりあえず今はいらない……なんで弓がなくてかぶら矢だけとかあるんだろう?意味ない……
 ポマードとお歯黒っていうのはギャグなの?何だこの魔法瓶えらくなんか丈夫そう……って中身は液体窒素って!瓶と石油と洗剤と布……?ってこれ……学校を焼けとでも言う気なのかあいつは!
 この機械は……ガ、ガイガーカウンター……放射能は勘弁してほしい、というかあいつの想定している事態が分からない。
 暗視ゴーグル……特殊部隊の様相を呈してきたな。これ……手榴弾……あ、スタングレネードなのね……いやもういいけどさ……。スクールウォーズが楽々できるぞ……でも一応違法なものは今のところないのか……ナイフとかスタングレネードとかは微妙だけど。銃とか出てくるかとも思ったのに。
 この一番奥にあるのは……あはははははは、うんまあそりゃ見た目でぱっとはわからないだろうけどさ……最後のこれはいくらなんでも違法だろこれ……でも使い方がちょっと分からない……あ、ご丁寧に説明してくれるんですか……ふーん電気式なのね……(以下略
『……以上で説明を終了する。では諸君の健闘を祈る。なおこの音声データは手動的に消滅する。申し訳ないですが消しといてください』
 チャラ〜♪
 最後は音楽までついていた。別にそんなのはいらないと思う。というかスパイ大作戦だったんだ……
 結論。和真は阿呆だということが良く分かった。
「わーすごいすごい、四次元ポケットみたいなロッカーですね先輩!」
 ……この娘はこの娘で問題がある。なんでこんなに能天気なんだろう……
「とりあえず、アイツ倒すか、呪物――この結界作っているものを壊さないと多分校舎から出られないから――ええっと三ノ宮さん何か特技とかある?」
「アーチェリーなら得意なんですけど……」
「じゃあクロスボウ担当する?わたし射撃は苦手で……」
「いえあの……アーチェリーとクロスボウってぜんぜん違うんですけど……」
「気にしないで」
沈黙。ちょっと気まずい。とりあえず作業を進めることにした。
「坂下先輩。その、なにかこういう事態に慣れているようにお見受けするのですが……」
 袋にいりそうなものをとりあえず詰めているわたしに三ノ宮さんが探るような目つきで話し掛けてくる。
「不幸な星の元に生まれたみたいなのよね……そういうあなたも普通もうちょっと怖がったりすると思うんだけど?」
「あ、わたし小さい時誘拐とかされてますから。その影響もあるかもしれないです」
 ……さらりと今ものすごいこと言ったな。本人はにこやかに微笑んでいるけど。
…なるほどね。ちょっとだけ納得がいった。
 必然、という言葉が頭の中に浮かんだが、すぐに消去した。
運命などという言葉はわたしは大嫌いだからだ。
 しかしこの娘がパートナーというのは不幸中の幸いというべきだろう。
「ええっと、とりあえずこれからどうしましょう?」
「とりあえず靴を履き替えましょう。その後は威力偵察かな。できれば図書館の本を押さえたいと思う。それが呪物のような気がするし……すんなりとはいかないでしょうけど。とりあえず地の利はこちらにあるんだし」
「……まだ他にも校舎内に人がいる可能性もありますけど――」
 むろんその可能性もある。ほとんどいないと踏んではいるのだが。少なくとも職員室にはまだ人がいるはずである。鍵を返しに行く途中だったのだから。
「とりあえず放置するしかないと思う。探している暇がもったいないし、それよりは本を押さえるのが先決だと思う。多分、物理的な攻撃が効くとは思うんだけど、どのくらい効くのかはさっぱりわからないから、生存者が襲われているところに遭遇して、助けに行ったのはいいけど二次遭難という事態にもなりかねないしね。現段階では不用意に危険には近づきたくない、というのが本音かな」
「――見捨てるんですか?」
「ありていに言えば。とにかく問題の本を押さえたい。それを読めば何かわかるかもしれないし」
「――ーわかりました」
 しぶしぶ、といった感じで、そう答えた三ノ宮さんの瞳はまだ揺れていたけれど。
「気持ちはわかるけどね。生き残ることを考えましょう。それが一番必要なことだから。さて、準備はいい、後輩?」
「はい、先輩。お供いたします」
 元気なのはいいんだけどなあ……