4話 ハイウェイの澱 -6-
そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。(ルカ:8:31)
◆
さすがに唖然とするわたしを尻目に、優羅とリースさんはなにやら打ち合わせをしている。
「じゃあ、私がアクセルを念動力で押さえてるからその間に代わって。はい、ハンドル。じゃあいっせーの」
合図と同時に優羅とリースさんは席を交代する。
運転席にすばやく滑り込んだ優羅は、シート横のレバーを引いて、座席の調節をする。
「実は、見たときからちょっと運転してみたかったんですよねー」
優羅はこんな状況下なのに鼻歌でも歌い出しそうなくらい上機嫌だ。
「じゃ、わたしはちょっと出てくるから。安全運転よろしくね」
リースさんはガー、と開閉ボタンを押して助手席の窓を開くと、片目でウインクを一つ。
そして窓から車外へ身を躍らせた。
……ってええ!?
慌てて窓の外を見る。一瞬、飛び降りたのかと思ったけど、リースさんは器用に窓枠に足を掛けると、そのまま車の上に飛び乗った。
……いやそれでも無茶でしょう。
「リ、リースさん、無茶です、一体何キロ出てると思ってるんですか!」
わたしは思わず車外のリースさんに向かって叫ぶ。
人間が立っていられる速度とは到底思えない。
「大丈夫、支えてるから落ちっこないわよー」
リースさんの返事はしごく明るい。
支える……? 支えるって一体何で? ……ってまさか。
わたしはそれを理解した時、少し戦慄を覚えた。
つまり、サイコキネシスで自分の足を車に固定させてるんだ。
たしかにリースさんは念動力(サイコキネシス)が得意だとは言ってたけど、ここまでとは……
リースさんが車の上に上がると同時に一頭の犬が追いすがる車のフロントガラスからするり、と抜け出してわたしたちのほうに跳躍してきた。
弾丸のような速度で中を飛び、牙を剥き出しにしてリースさんに踊りかかる。
――が、その犬は何かに掴まれたように、無理矢理空中で静止させられると、そのままベクトルを横方向に曲げられた。
こちらに踊りかかった勢いの倍以上の速度で壁に叩きつけられた影(犬の輪郭が見えないくらいの速さだった)は、コンクリートにめり込んで、後方に過ぎ去っていった。
「……これ新車だったんだから。まだローンが残ってるのに歯型なんかつけてくれちゃって……言っておくけど、私、かなり根に持つタイプだから」
「……優羅、安全運転でいったほうがいいわよ」
リースさんの呪詛のような声を聞きつけたわたしは、静かにアドバイスを運転席へ送った。
「それは向こうに言って下さい……車間距離が無茶苦茶で運転しにくくてしょうがないです」
そう口では文句をつけるものの、優羅は実に楽しそうにハンドルを捌いている。
「……素朴な疑問なんだけど、運転ってどこで覚えたの? あきらかに年齢は足りてないと思うんだけど。もしかして、無免許で運転してたり?」
「やだなあ先輩、日本では私道を走る分には別に法律違反じゃありませんよ。いえその、公道も走らなかったと言えば嘘にはなりますけど……」
こうして話してる間にも、優羅はアクセルを吹かしたり弛めたりして、わたしたちの車は水を得た魚のように、高速道路の海を危なげなく泳いでいる。
「優羅、右!」
トラックがこちらに車体を勢いよく寄せてくるのが見えたので、わたしは思わず叫ぶ。
優羅はちらりと右を見、じりじりと車体を左に寄せると、窓から外に向かって、こう叫んだ。
「リースさん、ちょっとだけ右の車、お願いしますー!」
「……了解、でもあんまり長くは持たないわよー!」
コミュニケーションを明確にするためか、お互いに叫びあう二人。
銀のコンテナが迫る。
接触する、と思った瞬間、トラックはピタリ、と停止した。
「くっ、やっぱり重いわね……」
驚くべきことに、リースさんが念動力でトラックの接近を阻んでいるらしい。
……もう無茶苦茶だ。
リースさんがトラックの接近を阻んでいる間に、優羅は左に車体をずらし、いつのまにか後ろから迫っていたもう一台の車を振り切ると、一気に加速する。
「ううん、埒があきませんね。カーブもなんにもないですから、峠の豆腐屋さんばりのドライビングテクニックで振りきるというわけにもいかないですし」
抜けた先も、また囲まれていた。
が、優羅はつまらなそうにそんなことを言う。
「あら、優羅もあのマンガ読んでるの?」
わたしがその発言に突っ込む前に、意外なところから反応があった。
見ると、運転席の窓ガラスから逆さに顔をだしたリースさんが、視線は油断なく後ろにやったまま、そう聞いてきた。
「……リースさんも読んでるとは思いませんでした」
「うん、友也の部屋に並んでたから読んじゃった」
そう返事をするとリースさんは頭を引っ込め、接近していた一匹の犬をサイコキネシスで無造作に弾き飛ばす。
「でも本当に埒があかないです。見える範囲ほとんど乗っ取られちゃってるんじゃ……ああ、また来ました」
見ると今度はさきほどとは別のトラックが先ほどの焼き直しのように再び接近してくる。前は別の車両でふさがっていて、左の車線しか開いていない。
優羅は先ほどとは違い、接近するトラックを一顧だにせず、真剣な表情で少しずつスピードを弛め、左に少しづつ車体をずらす。
わたしは、そこでようやくすでに左のトラックだけでなく、右後ろからも接近している車に気づいた。
すでに、挟まれていたのだ。
『先ほどから増殖しつづけています……気味が悪いくらいの速度です』
鈴華が冷や汗のにじんだ声でそう告げる。
「リースさん、右の車押せます? でないと前が辛そうなんですけど」
「それしかなさそうね、いいわ、なんとかやってみましょう。行くわよ、1、2、」
3、のかけ声と共に優羅はハンドルを右に切った。……え、右?
同時にキュルキュルとザザ、という擦れるような音が続けて聞こえ、トラックの巨大な車体が右にずらされていく。
……すご。もう感心するしかない。
優羅は車一つ分の隙間が開いたと見るや、躊躇なくそこに向かって突入した。
ガリ、と途中で擦れるような音がしたももの、見事にその隙間を通り抜けた。
「あちゃあ、ちょっと擦っちゃいましたね」
「いいわよ、どうせ修理に出さないといけないし」
優羅の呟きに、リースさんは再び、顔だけを屋根から出してそう答える。
そしてわたしは何故、右に切ったのかようやく理解した。
左の車線には追い越した車に隠れるようにして、すでに車が待機していたからだ。
要するに、もし左に逃げていたら、前も塞がれていたことになる。
「よし、これでとりあえず前には乗っ取られてる車はいないみたいですね。じゃ、このまま出口まで行きます!」
そう、明るく優羅はいうと、思いっきりアクセルを踏んだ。
思わずシートに貼り付けられるくらいの圧力が掛かった。
「ちょっと優羅いくらなんでも飛ばしすぎ―ー」
「大丈夫ですよ、コースだともっと飛ばしたことありますからー!」
なにやら恐ろしいことをのたまう優羅に後押しされるように、車は一気に加速した。
◆
明かにレッドゾーンを指し示す針をわたしは戦々恐々といった面持ちでちらり、と後ろから覗きながら、わたしは鈴華に話しかける。
「で、後ろはどんな感じなの? 結構距離が開いたように思うんだけど」
『それほど距離は見た目より開いていません、ぎりぎりまだ視界内です。……数のほうはもう数えたくなくなってきました……また接近してきます』
すぐさま後ろを見たわたしは思わず呟いてしまった。
「なるほど、そう来たか……」
黒い犬は――いや、黒い狗たちは、高速道路を走るのではなく、高速道路を走る車の上を、跳躍してこちらとの距離を詰めて来ていた。
まわりの車の屋根に、ずらり、と狗たちが並ぶ。
「ああもう、うっとうしいわね!」
リースさんは砂糖菓子にたかる蟻のように遮二無二喰らいついてくる狗たちを片っ端から撃墜している。
そのうちの何体かは車のボディやフロントガラスに飛び乗ってくるのもいたが、数秒ともたずにリースさんに弾き飛ばされている。
「鈴華、そういえば聞くのを忘れてたんだけど、乗っ取られた人とか無事なわけ?」
かなり余裕のなくなってきた車外を見ながらわたしは聞くのを忘れていたことを鈴華に質問する。
最終的な手段の検討をしておかないといけないからだ。
『乗り移られているだけですので、抜ければ精神的に衰弱した状態になるだけだと思いますが……この状況下では危険ですね』
「とりあえず、生きてはいるわけね」
『はい、それは』
となると、あまり無茶苦茶もできないのか。
それでもどうしようもなくなったらやらざるを得ない――というよりやってもらうしかないんだろうけど。
「ああもう、ぞろそろとっ!」
リースさんの叫び声に、窓からちょっとだけ顔を出して覗いてみる。
一向に数が減らない犬たちに業を煮やしたのか、リースさんはそう叫ぶと、前の トラックの扉のチェーンを無理矢理念動力で引きちぎると、ロックを回して引き開け、無理矢理扉をこじ開けた。
って指示をするまでもなくやる事が派手だなあ、リースさん。
わたしたちの安全を優先するために、直接、追いかけてくる車自体を攻撃する等のより攻撃的な手段をとってもらおうかとも思ったのだけど(自分でも残酷だなあとは思うけど、正直な所、他人の命より自分たちの命だ)、リースさんはどうやら最初からそのつもりのようだ。ありがたいことではあるけれど。
片方の扉が開いたトラックは、ドアをパタパタと開閉させながら、高速道路を激走している。
中の荷物は、何かの機械類の部品のようだ。いかにも重そうな金属板や棒や何やらが積み込まれている。
「ビンゴ! 申し訳ないけど、使わせてもらいましょう」
リースさんはそう叫ぶと、一抱えくらいはありそうな金属塊を箱をこじ開けて取り出すと、それを数個宙に浮かせて、狗めがけて思いっきり投げつけた。命中した狗の頭がべこり、とへこみ、そのまま部品といっしょに後方に流れていく。
「いけるわね」
リースさんはヒュンヒュン、とまわりに同じ金属塊を舞わせながら、そう呟いた。
……やる事が派手な人である。
わたしはとばっちりをくらってもあれなので、観察していた窓から首を引っ込め、閉める。
さて、とりあえず今のところは、なんとかなってはいるみたいだけど――
「優羅、出口まであとどれくらいか――」
そこで、気づいた。
「ええっとですねもうすぐだと思いますけど」
「優羅、あなたその汗――」
優羅のうなじにびっしりと、冬にもかかわらず、玉のような汗が浮き出ていた。
念のために言っておくと、車内はむしろ寒いくらいだ。
注意して聞くと、声にもいつもの覇気がない。
「大丈夫ですよ、ちょっと気分が良くないだけですから――」
……実に迂闊だった。中てられている。よく考えてみれば外にこれだけ悪霊がうじゃうじゃしているのだから当然と言えば当然だ。
「鈴華、結界は張ってるのよね」
『はい、ですが簡易的なものですので流石にこれだけ相手が強力だと効果はあまり』
「……わたしを中心に守護してるでしょう。優羅を中心とした守護に変えて」
『しかし、それでは先ほどのような――』
「先輩、わたしは平気ですから」
そんな弱弱しい声で言われても困る。明かに優羅は平常の状態ではない。
「大丈夫よ。わたしは完全に能力をOFFにするから」
『しかしそれでは、私の声さえ聞こえなくなってしまいますし、空音の体にも負担が』
「いいから、やって。どの道、運転できないわたしは一番の役立たずなんだし」
『しかし――』
「鈴華。命令するわよ」
ぐずる鈴華に、わたしはやりたくない脅し方ををした。
『……わかりました。しかし、空音のほうが先です』
渋々、といった感じで鈴華が折れた。
よろしい、とわたしは努めて明るく答え、目をつぶる。
そして深呼吸を一つ。イメージは蓋。外に向かって伸びる『線』全てに蓋をかぶせる。
ゆっくりすべてに蓋をし終わると、わたしと世界とが断絶される。
もやもやとした薄い膜が頭にかかったような感じになる。
それを確認すると、鈴華に向かって話し掛ける。
「いいわよ、完了」
対する鈴華の応えはもうわたしには聞こえない。
いまのわたしは完全に能力に蓋をした状態だ。
この状態も一日くらい続けると、ひどい頭痛がしてくるんだけど。
「先輩わたしは大丈夫――ってあれ」
優羅の声の調子が途中から明かに戻る。
「……本当に治りました。ってうわ、鈴華さんの声も聞こえる」
「ま、仲良くやって?」
優羅の慌てた様子に苦笑しながら、わたしは鈴華の入ったバックをトントン、と叩いた。
それにしても、まったく狗の数が減らない。脱落してもいつのまにか復活しているようだ。目に入る範囲で十数匹はいる。
「先輩、もうすぐ出口です!」
元気を取り戻した優羅が快哉を上げる。
とりあえず高速から降りれられれば、交通量は少しは減って今のどうしようもない状況から脱せるかもしれない。
どのみち指示された地点に行くには降りなければならないので、その選択肢しかないのだけれど。
――その時。
「――え、鈴華さん前? 前って別に……っ!! リースさん、対向車線です!」
わたしが視線をそちらに移すと、対向車線から分離帯を乗り越えた二十トントラックが、こちらに向かって全速力で突っ込んでくるのが見えた。
リースさんは呼応するように一斉に飛び掛ってきた狗たちの相手で手一杯で、完全にそちらに注意を向けられていた。
よしんば対応できていたとしても、対向車線から突っ込んでくるトラックを止められたかどうかはわからない。
時間が粘性を帯びたようにゆっくりと流れる。
トラックが、こちらに――
「――私はただ一時、運命の頂きに立つ!」
優羅のその一声が、迫り来る破滅を切り裂いた。