3話 古本は紙魚の骨を食べるか -1-

わたし、坂下空音は高校2年生だ。
 『高校生2年生である』、ということは、『平日は学校に行く』ということである。
まあ中には学校に行かない高校生もいるとは思うけど。
身近な例を上げると、和真は出席日数は大丈夫かと心配するくらい学校に来ない。
 ・・・・もっとも学校であんまりお互いに接触しないのでこれも80%くらいが伝聞情報なんだけれど。
 というわけで、わたしは朝の通学路を一人歩く。
 周りは私と同じブレザーの制服に身を包んだ女子高生達と、それと同じくらいの数、スカートの代わりにズボンを履いた男子の姿が見える。(ふと思ったのだが、不思議に男子高生とは言わない。音で聞くと男子校生と変わらないから、紛らわしいのを避けるためかとも思ったけど、よく考えると女子校生も同じことだ。なんでだろう)
 そんなどうでもいいことを考えながら歩いているうちに、正門に到着する。
人波に流されるまま、正門をくぐり、教室へ。この学校は県内でも割合レベルが私立の高校らしく、かなりの進学校と言って差し支えない。
 わたしはここの試験をかなり適当に受けた覚えがあるので、今考えるとよく通ったものだ。この高校を選んだ理由が、マンションから近くて、制服が可愛かったからというのが主な理由なあたり自分でもどうかと思うし。でもだいたい今時、高校選ぶ理由ってそういう軽い理由じゃないかなあと思わなくもない。
 スカートがあまり好きではない私でも、このチェックの柄のスカートは可愛いと思うし。
まあ制服の話はこれくらいにして。
 わたしは朝の喧騒に賑わう校舎内に入っていく。
 階段を登って2階へ上がると、わたしは2−Aと書かれた札がぶら下がっている教室のドアを開ける。ちなみに和真は2−F。廊下の一番奥の教室だ。
 わたしは軽くおはよう、などとにこやかにクラスメイトに挨拶しながら自分の席――後ろから2番目の窓側というなかなかの席だ――に滑り込む。
 実はわたしは『欠席』はあっても『遅刻』はない。まあ遅刻するくらいなら休んだほうがいいという考えの持ち主ではあるのだが、だいたい休む理由はなんらかのトラブルに巻き込まれた時なのでなんというか不可効力なのだ。本当は皆勤賞を目指したかったのだが、こればっかりはしょうがない。
「あ、坂下さんおはよー」
 わたしが鞄から教科書を出して、机の中にしまっていると、隣の席から声がかかる。
「おはよう、白倉さん」
 軽くあいさつを返し、隣の席で他のクラスメイトと楽しそうに喋っている彼女をじっと観察する。
 薄く茶色に染めたショートヘアが活発な印象で、コロコロ変わる表情も魅力的だ。
男女交えての朝の何気ない会話でも、そのグループの中でも彼女は話題の中心だ。
 特にわたしはその輪に加わらることもなく、窓の外の景色をぼんやりと眺める。隣からはたまに笑い声が響いてくる。話題は芸能関係のようだ。
 わたしはすっぱりきっぱりゴシップにはあまり興味がないので右から左に流す。
まあその、これが珍しいということは自覚している。だから別に話題に加わることもなく、聞き耳を立てるに留める。
「でもさー絶対すぐ別れるっぽくない?」「思う思う」
 などという声を右から左の耳に流しながら、わたしは首だけ傾けて、白倉さんを再び観察する。
 彼女はこのクラスで男女隔たりなく、最も交友関係が広い生徒だろう。わたしは、話しかたに嫌味がないのが同姓にも異性にも好かれるの理由だろうなと推測している。 わたしはどちらかといえば集団で行動するのが嫌いなタイプなので下手をするとクラスでは孤立してしまいかねないのだが、彼女の人柄というか行動力というか、出席番号が近いせいもあって、彼女に振り回される形で混ざることが多い。
 元来、友達は作らない予定だったのだけれど。
彼女のおかげで、クラスの位置的には変わり者扱いで済んでいるのでそこはありがたかったりする。
 彼女はわたしが意識的に立てている壁を敏感に感じ取っているらしく、あまりわたしの内面には踏み込んでこない。内側と外側の微妙な境目を見極めるのが上手いのだ。それを意識的にやっているのか無意識的にやっているかはともかく。それが彼女との友人関係を持続させているのだろうなと思う。
 念のために言っておくと、わたしは彼女を得がたい友人と思っている。わたしみたいなのに接触してくる理由や目的は定かではないが――こうしていちいち分析しているわたしが一番問題なのだろうけど。わたしは白倉さんから視線を外し、ほぼ今朝はいつも通りと結論する。
 そうこうしてるうちに担任がやって来て、HRがはじまった。

                        ◆


 平凡な時間が過ぎて昼休み――わたしはクラスメイトから昼食に誘われたが、今日はお弁当じゃないから、と断り鞄からハードカバーを一冊取り出すと、返却するために足を図書館に向ける。
 この学校の図書館は学校の創立者が相当な古書の収集家だったらしく、もともと彼の持ち物だった書庫を改装したものだ。数年前の学校全体の改装・増築に伴い、独立していた書庫を校舎と繋げ、ついでに電子化――といっても昔ながらの図書カードを廃止してバーコード管理になったというだけの話だが――も行われた。
 本が好きなわたしにとっては嬉しい話である。
と、まあ高校にしては屈指の規模であると思われる図書館に、私は足を踏み入れる。
入館カードを通し、返却カウンターにむかう。
「あ、こんにちは、坂下さん」
 カウンターに座っていた司書のお姉さん――仲山さんが常連であるわたしに挨拶をしてくれる。こういっては何だが、制服を着ていれば絶対に高校生に間違えられるくらいの丸顔で童顔なひとだ。本人はそれがかなりのコンプレックスのようだけど。
 この規模だと司書の人数も普通の学校よりかなり多くなる。頻繁に利用する身としては司書さんたちと仲良くもなろうというものだ。
 稀覯本もかなりの数があるとかないとか。その一部は別室になっている展示室に行けば見ることができるようになっていたりもする。
「新刊入ってます?」
 わたしは仲山さんに本を裏返してバーコードの面を見せた状態で渡しながら、そう聞く。
「あ、坂下さんが言ってたやつ入ってるよ」
 それを受け取り、慣れた手つきで返却作業を行いながら彼女はそう嬉しそうに答える。いわゆる本好き同士の連帯感というやつだろうか。
「あ、じゃあいつものようにお願いします」
「はいはいー、一番にしとくね」
 いつものようにというのは、新刊がデータ処理される前、すなわち予約開始前に一番に予約を入れるというかなりの反則技である。
 これはでも常連になれば誰でも結構やってることなので別段ものすごく不公平というわけではない。聞いた話では伝統なのだとか。
 わたしがよく予約するのは主にハードカバーで、ミステリ系が多い。
 ちなみに仲本さんはその童顔に似合わず、社会系のミステリーやハードボイルド、政治陰謀物などの実に暗いジャンルが好みだ。人は見かけで判断してはいけないとつくづく思う。
「そうそう、例のうわさ、だいぶ広まってるみたい」
「え、そうなんですか?」
わたしは少し驚いたのでそう問い返す。
「うん。だってわたし、何人も聞かれたもん。普段利用しない人たちが多かったけど」
「うーん、こっちとしてはいまさらな感があるんですけどね」
 今、話題にしているのは最近になって生徒の間で広まっているある噂についてだ。

―――図書館の書庫には必ず恋をかなえてくれる本がある。
本の見つけ方は、目隠しをして第2書庫の入り口から前に20歩、右に6歩、左に15歩。
その棚の上から2段目の左から6つ目にある本を取り出す。
途中で目隠しをはずしてはいけない。
あとはその本の後ろから四ページ目に書いてあるとおりにすること。
でも、気をつけて。気をつけないとあなたがいなくなってしまうから。
でも、想いががとどくかどうかはあなたの行動しだい。
でもあなたのおもいがたりないときは、おもいごとなくなってしまうよ、気をつけて――

 恋のおまじない系の派生だとは思うけど、いやに手順が具体的なんだよなあ・・・
それにじつに後半が不吉だ。まあ黒魔術系のおまじないだってそれなりのリスクはあるもんなんだけど。
「でも、今は第2書庫ってないんですよね、確か」
「うん、この間の改装で潰しちゃったみたいなのよね、今、書庫って新しいのが1つきりだし」
 仲山さんはそう言って後ろをちらりと見る。そっちのほうに書庫の入り口があるからだ。
 この噂自体は昔からあるらしいけど、最近特に流行っているらしいのだ。
ちなみにかなり古くからあるらしく、図書館の常連は怪談としてこれを聞くことになる。
これを実行したかなり前の図書委員が行方不明になったとか。
 今でも書庫には「かえして」というその人が書いたという文字が壁に刻んであるとかなんとか。その文字の下には宛名のないラブレターがあったそうだ。
 尚、補足しておくと、この人は実は転校しただけだったらしいというなんとも拍子抜けしたオチまでついている。
 まあ怪談なんてだいたいそんなもんなんだけど。
「やろうとしたって実行できないですよね」
「うーん、でもなんか聞きに来た子たち隠してる感じがしたのよねえ・・・話自体は本当にあるって言ったら、妙に喜んでたし」
 仲山さんは首を傾げている。
「まあ、人の噂も七十五日って言いますし」
 怪談とかに当てはまるかどうかは知らないけど。
 そう言って話を打ち切ると、わたしは図書館の奥に歩みを進める。まだ昼休みがはじまったばかりなので、利用者はかなり少ない。
 私は棚をいくつか通りぬけ、ガラスに覆われた特別展示室に入ると、その中でもひときわ重厚そうなガラスケースに入れて飾られている、一冊の本の前に立つ。
その本の名前は
――Elementa Geometriae ――「ユークリッド幾何学原論」
という。
 能力を意識的に立ち上げる。
『こんにちは、レナートさん』
『こんにちは、シィニョリーナ(お嬢さん)。毎度のことながら君も暇なもんだね』
 声ではない伝達手段での会話。
 紹介しよう。『彼』はこの図書館の主、といって差し支えない、「ユークリッド幾何学原論」に魂が宿ったもの――日本風にいえば付喪神だ。
 ちなみになぜ彼がイタリア語かというと刊行がヴェネチアだからである。
 彼とは、1年のときに彼の独り言をわたしが聞き取って以来のつきあいになる。わたしに声が聞こえているという事実に驚いていた彼だったが(実際日本に来てからは初だったらしい)内容は小難しい数学の本にも関わらず、イタリア人(?)特有の明るく陽気な性格もあってかすぐに打ち解けた。
 わたしは付喪神はだいたい破天荒な性格(鈴華がいい例だ)の持ち主が多いので全然気にならなかったけど。
 わたしの知る限り、この図書館で『話せる』のは彼だけである。
 物に意志が生じる確率というのは『古さ』と『思い入れ』と『その他の要因』が組み合わさっているため一概にどうこう言えないが、古いものほど意志が生まれやすい。
 そういう意味では、ずらりと展示されている本の中にも喋れてよさそうな人がいてもよさそうだが、話せるのは今のところレナ―トさんだけだ。
 ――あ、なんでわたしが話せるのか説明してなかった。
 これはわたしの体質であり、能力であり――たぶんトラブルの元にもなっている――『意志を持つあらゆる存在とコミュニケーションが取れる』という力のおかげだ。
 生まれつきなので、あまりもうありがたくも何ともないが――英語のヒアリングはこれのおかげで満点である。だって能力を使えば日本語に聞こえるのだから。ちなみに文字に対しては無効なので、英語の成績が良くなるというわけではない。たぶん意志の介在が問題だとは思うのだが――。
『最近はどうだね、お嬢さん。学問に励んでるかね?』
『まあまあですかね。レナートさんちょっと聞きたいんですけど、書庫の噂、知ってます?』
『フム、例のやつかね』
『うん、なんか最近えらく噂になってて――』
『お嬢さん、これは忠告だが――書庫にはなるべく近づかないほうがいい』
わたしの言葉を遮ってそう言うレナートさん。
『――ちょっと待って下さい・・・・・・本当の話なんですか?』
『存在自体は随分昔から知っていたのだがね・・・・・・ここ10年ほど何も感じなかったので忘れていたんだが、どうも最近嫌な気配を書庫から感じるのだよ』
わたしはその言葉に驚いて思わず表情をひきつらせる。
――っとあぶない。傍目からみたらただの危ない人だ。
『うあっちゃあ・・・・・・マジ話なんだ。参ったなあ・・・・・具体的にどんなやつかわかります?』
『さてね・・・・・・・前の時には寝ていたのでさっぱりわからんし、今回は書庫にいるわけでもないからな。とにかく嫌な気だ。やめておきたまえ』
 さて、どうしたものかとわたしは思案する。放っておいてもわたしにはとりあえず害はない。しかし、図書館はよく利用するんだなあこれが。それに書庫自体が危ない可能性があるということは、司書の人にも危害が及ぶ可能性があるということだ。
『・・・・・まだ被害は出ていないし、保留します。ちょっと真面目に噂を調査してみるかなあ。まったく無関係で済ませられそうにないし・・』
『――事件に巻き込まれるのは君の体質ばかりが原因ではないと私は思うがね』
 その言葉にわたしは苦笑いを返す。
『なんというかもう性分ですので。調べるだけだから大丈夫ですよ』
わたしのその言葉に、肩をすくめて答える彼の姿が見えた気がした。
                   
                        ◆

 展示室から出ようと、入り口から一歩踏み出したわたしの体に軽い衝撃が走った。
横合いから飛び出してきた人影が、わたしの体にぶつかったからである。
「っと」
 バランスを崩しそうになる体をどうにか整えると、わたしはぶつかってきた相手を見る。
 あれ?この娘。確か・・・
「ご、ごめんなさい大丈夫ですか?」
 慌てたようすで、わたしにそうきいてくるのは見事な黒髪が頭の後ろ辺りまである目鼻立ちがすっきりした和風美人の小さい娘だった。いくら女子の平均よりわたしがちょっと高いとはいえ、頭二つは低い。リボンの色から察すると1年生ということはわかるが、それにしたって・・・・・・・である。
「あ、うん、大丈夫だから」
「申し訳ありません私の不注意で・・・・・・・」
 こちらが逆に申し訳なくなるぐらい頭を下げてくる。
「いいって。まあでも気をつけてね」
「はい、本当にすみません坂下先輩」
 ――ちょっと待て。
 顔を上げた彼女をもう一度よく観察する。
「ええっと・・・・・・前に会ったっけ?」
「いえ、何度かお見かけしたことはありますけど、直接お話しするのは初めてです」
「・・・・・・じゃあなんでわたしの名前知ってるの?」
「え、有名でいらっしゃいますよ?坂下先輩は。文化部全体の予算を力ずくでぶんどったとか、文化祭のボヤの時の放送とか」
 目の前の後輩は不思議そうな顔をする。
心当たりがないとは言えないだけに、反論もできない。
 予算についてはわたしが所属している文芸部の予算が少ないっていうのを部長から聞いて、ほとんど幽霊部員だしちょっとは貢献するかと思い、なんとか増やしてもらおうと思って調べたら、あまりに運動部との予算の割合がおかしかったんで、
 お金の流れをちょろっと調べて。和真にもちょいちょいっと手伝ってもらって裏工作で生徒会と教職員の一部を軽く脅迫して、隠し予算をオープンにさせただけの話なんだけど。
 正義とかうんぬんじゃなくて文芸部の予算をふやすにはそれが一番手っ取り早そうだったからやっただけの話だし。
 ボヤにいたっては原因がわたしとも言えなくなかったので仕方なくという部分もある。
 状況を一番把握してるのがわたしだけだったしなあ。でも・・・・・一年の時の話だぞ?この娘は入学前だと思うのに。
 それに予算のほうはわたしが関わってるなんて関係者しか知らないと思うんだけどな・・・
「・・・・・・まあいいけど・・・・そういうあなたは『窓際の君』よね?」
「・・・・・それって私のことなんでしょうか?」
「うん。それても図書館のヌシって呼んだ方がいい?わたしは『窓際の君』のほうは好きなんだけど」
「どちらも遠慮していただけると助かるんですけど・・・・・・・」
 控えめにそう言う彼女。
 まあそりゃそうだろうな。わたしだって呼ばれるのは勘弁だ。
でもわたしも前から窓際の定位置で本を読んでいる彼女には興味があったし。
 しかしなんというか、可愛い娘だ。この子結構人気あるんじゃないかなあなどと思っていると、胸のあたりから震動を感じた。メールの着信だ。
 ちょっとごめんね、と断って携帯を取り出してメールを読む。
 お、来た。流石に仕事は速い。携帯をしまう。
「それじゃ用事が出来たのでわたしはこれで。それじゃあ」
 そう言い捨てると、わたしは早足でその場を離れる。
 そういえば結局名前聞かなかったけど、まあ調べればすぐわかるし、前から顔はよくあわせていたんでまたそういう機会もあるだろうなと思ったので、わたしは背後からの
「あ、はいお気をつけて」
という声を背に受けつつ、図書館を後にした。