3話 古本は紙魚の骨を食べるか -3-
いつものことといえば、まあ何時ものことなのだが。
また厄介なことになったなあ、というのがわたしの正直な感想だ。わたしはとりあえず職員室にむかって歩きながら、鈴華の話を思い出す。
◆
「いいですか空音、今日は結界についてのお話です。ではまず定義から行きましょう。結界というのはそもそも何でしょうか?」
鈴華はたまにわたしに、こうまあ呪術的なというか霊的なというかようするにオカルト系の知識を講義してくれることがある。
今日は結界についてらしい。読書中――ちなみにタイトルは『伊集院大介の新冒険』――だったんだけどな。
「光子力研究所のバリアー」
「……真面目にやって下さい。割れてどうするんですか、割れて」
わたしのウィットに富んだ答えがお気に召さなかったらしい。
割れるところは特に問題じゃないような気がするけど。
「いいですか、要するに結界というのはおおざっぱに言うならば、『何かによって区切られた空間』といえます」
「何か……って例えば?」
「魔力でも霊力でも光子力でもムートロンエネルギーでも呼び方はなんでも良いですが……なんらかのエネルギーや、それこそただの雰囲気だけのものまで様々です。まあ発生源はともかく、理解しておくべきは結界の効果と破り方でしょうね……いいですか、もっともポピュラーな結界の例としては『精神にはたらきかけて区切った』結界です。いわゆる人払いの結界ですね。『なんとなくその空間に行きたくなくなる』というものです。なぜこれが最も一般的かというと、これが一番技術的に簡単だからです」
ララァァァイ……ツッコム気も起きなかったので口にはしなかった。わたしは超者のほうしか見たことないし。代わりに疑問に思ったことを質問する。
「……そんな簡単なの?結構たいへんなものに思えるけど」
チッチッチと鈴華は口で言う。いつものことだが、芝居がかった付喪神だ。
「『なんとなく行きたくなくなる』だけですからね。確固たる目的があってそこに行く人には効果ありませんし。それに精神に働きかけるというのは物理的にどうこうというよりは遥かに魔力との親和性が高いんです。空音のような外法者――失礼、特殊能力者にしてもそうです。物理的に影響を及ぼせるという能力者はほとんどいないでしょう。もちろんいないわけではありませんが――私の経験からしても、そのような能力者はどこか歪んでいましたし。多分、人の身には重過ぎるのでしょうね」
鈴華は昔を思い出しているのかどこか寂しげな声でそう言った。
「話が逸れました。まあ定義についてはこのくらいで。次に行きましょう。次は目的についてですが、人為的に結界を作る目的はおおまかに分けて3つです。外からの影響を防ぐ結界。内からの影響を防ぐ結界。そして結界内の場を変化させることが目的の結界。なんにせよ、結界内は通常とは違う空間であるということを頭に刻み付けておいて下さい。いいですか空音。結界内はすなわち相手の陣地ですからね、すべて相手に利があると思って間違いがありません。相手の陣地で挑もうなどとは死んでも思わないように。ひどいのになると、入った瞬間に生気を吸われるなんてものもありますからね。……もっともこれはかなり難度の高い結界ですが。結界に対しては不用意に踏み込まないのが一番です。それで破り方ですが――基本的には2つしかありません。術者を倒すか、結界を形成している呪物を壊すかです。まあ、術者倒すよりは呪物壊したほうが早いでしょうね……これはこれで大変なんですが」
「ねえ、一番やばい結界ってどんなの?入った瞬間死んじゃうとかそういうの?」
わたしは鈴華の長広舌を遮ってそう質問する。まあその大事な話というのは分かったが、なんとなくわかっていたことだし、聞いているほうとしては退屈だ。
「……そうですね、結界にもいろいろありますが―――やはり罠系の結界でしょうね。空音が一番気をつけるべきは。一度入ったら出られないものが多いですから。じわじわといたぶって殺されます。最悪です」
「出られないって……物理的に出られないわけ?」
そんなのは難しいのではなかったのか。
「そんなのは滅多にないですよ。あってもものすごく条件が厳しいはずです。物理的に、というのは本当に難しいんですから。意識に働きかけて出られないようにするか、まだ空間を歪めてしまったほうが楽でしょうねえ」
「空間を歪めるってのも物理的なんじゃないの?」
「物質的に壁を作る、というのと空間を歪めて延々ループさせるというのではループのほうが楽なのですよ。……どっちにしたところで出られないことには変わりはありませんが、破りやすいのは空間を歪めているほうです」
「そんなのにあったら、わたしどうすればいいわけ?霊力とか魔力とか0なんだけど」
「……がんばって術者を倒すか呪物を破壊してください。結界内にどちらともいますから」
「……アドバイスになってないような気がするんだけど……だいたい見分けられないよ呪物とか」
「和真様なら多分一目でお分かりになるのですけどね……うーん要は周りの風景と異質なものなのですが……複数ある場合がほとんどですし……まあ罠にかかった時点でそれなりの覚悟をするべきです。僥倖なのは、内から外へ出るのを妨げる結界は、他の効果がほとんどない――それに特化しているという点ですね。外には出られませんが中の行動に制限は受けないはずです」
「……とりあえず頑張れってことはよく分かったわ」
わたしはそう言って話を打ち切ると、読書に戻った。
◆
思い出さなきゃ良かった……
えーっと、かなりのっぴきならない状況にあるように思えるのですが。
おもいっきり物理的に出られないですよ?
「大体どこのだれがこんなもん作ってるのよ……」
多分あの声の主なのだろうな、とは思う。さっきのカウントダウンの不吉な声が頭にこびりついている。まるでかくれんぼをする時みたいな数え方――。
……まさかね。
「――イヤァァァァァ!」
さらに思考を進めようとした時、遠くからつんざくような悲鳴が聞こえてきた。
聞こえてきた方向は――ああやっぱり、図書館のほうか!
「いやな予想って当たるもんよね……」
わたしはきびすを返すと、図書館の方向に走り出した。周囲を警戒して走りながらも思考する。このまま無策に突っ込んでいっていいものかと。
悲鳴がおびきよせるための罠でないとは言い切れないからだ。
しかし放置するわけにもいかず――図書館の入り口が見える廊下の角を曲がり、廊下を息を切らせて走ってきた人影と、あやうく衝突しそうになった。
思わず後ろにとびすさるわたし。鞄に手を突っ込み――ん?
「あなた――」
「―――あ」
荒い息でその場にへたりこんでいたのは、今日図書室でもぶつかった。『窓際の君』だった。
「ねえ、ちょっと聞きたい――」
「逃げて下さい!」
バッと弾けるように立ち上がった小柄な彼女は、わたしの制服を掴むとはげしく揺すりつつそう叫んだ。
「……何から?」
わたしは冷静にそう聞き返す。
「―――あれからです!」
彼女は廊下の一番奥――図書館の入り口付近を震えた指でさし示す。
わたしもつられてそちらを見る。心の準備は一応していたのだが――。
それでも多少衝撃を受けた。
遠目でもわかるほどに青白い肌。地面に平行に存在する筋肉質の胴体から伸びる長細い4本のいびつな手足。四つんばいになって図書室の入り口から廊下に半身をあらわしているその生物は、色素の失われたざんばらな頭髪をもつ頭部をこちらにぎゅるり、と異様な音がなりそうな角度でこちらに向ける。
顔には人間と同じパーツしかなかったといえばなかったが。目の代わりに深遠でも覗いたように真っ暗な穴が二つ。凶悪そうに横に大きな口からは異様に鋭く白い牙が上下に生え揃っている。鼻がなんの特徴もないのが、逆に不気味だった。
―――フォアアファアァァァ!
こちらに顔をむけたそいつは、口を大きく開き、掠れた声で咆哮する。
わたしはその声を聞いて、ようやく事態を悟った。
「――逃げるよ。行こう。思った以上にやばいみたいだから」
目の前の彼女の手を取る。震えていた。励ますように手を握り返す。
走り出そうとした時、廊下の向こうからジャカ、ジャカ、と音をさせて四つんばいのままこちらへ近づいてくる異形の影が見える。速度は人間とそう変わりはないが――この薄気味悪い音は手足から伸びる鋭い爪と、廊下のリノリウムがこすれ合う音だ。その音はだんだんとテンポ――すなわち速度を上げて――こちらに迫って来る!
「やばっ!」
このままだと追いつかれる!
とりあえず階段を目指して駆ける。幸い階段はすぐそこだ。なんとかして距離を取らないと――ブオッっという空気を裂く音とともに、そいつは長い手足を折りたたんで大きくこちらに跳躍し、一気に距離を詰めると、曲がり角をかろうじて曲がったわたしたちをかすめるように爪を繰り出す。形容しがたい音とともに、壁に爪痕がくっきり刻まれる。しゃ、しゃれになってない!
わたしと彼女は全力で階段を駆け上がる。踊り場で振り向くと、階段下にはこちらにむけて跳躍しようと体をしならせている奴の姿が―――まずい!
――と、突然奴の動きが止まる。首をもと来たほう――図書館の方向に向けると、そちらの方向に全力で駆け出していった。
―――助かった……のかな?
思わず体から力が抜ける。
隣を見ると彼女も気が抜けたのか、くたり、とそのばに膝をついている。
「大丈夫?」
「……はい」
わたしが小声で尋ねると、彼女も力なくそう答えた。
しかし、まだ何も解決していない。そういえばなんであいつはさっき――
「うわぁぁぁぁああぁぁ!な、なんだお前ぇ」
瞬間。図書館の方向から悲鳴が聞こえてきた。―――そういうことか。
人気のない校舎には、あまり大きくない悲鳴でも実によく響く。
「やめろっ、やめっ――」
悲鳴はそこで途切れる。
「立てる?行きましょう」
わたしはスカートの埃を払うと、彼女にそう促がす。
―――覚悟は決まった。
「――え?」
「いいから立ちなさい。とりあえずここにいるのはまずいから」
「――でもさっきの悲鳴」
「多分、もう無駄だと思う」
わたしがそう言い捨てると、彼女は絶句する。
わたしと違って優しい娘だ。わたしが冷めているだけなのだけど。まあしかし事態は思った以上にやばいみたいなのだ。あいつの目的がとにかく危険だ。
なぜそんなのがわかるのかって?
――さて、ここで質問です。みなさんはわたしの能力は覚えてらっしゃるだろうか?
答えは、『意志のあるモノ全てとの会話』である。つまりわたしは先ほどの奴の声もちゃんと翻訳できる――できてしまっていた。はっきりとした言語形態をもたない動物などでもわたしの能力はしっかりとだいたいの意味を訳してくれる。
そして、奴はこう叫んでいた。
『――――喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい』
3話 古本は紙魚の骨を食べるか -2-
昼休みも半ばを過ぎた。
怒涛のラッシュも過ぎ、人もまばらになった食堂近くの購買で350mlのペットボトルと、かろうじて残っていたと思われるサンドイッチ(少し形のくずれたサーモンフライサンド、見た目も味も値段も微妙)とうぐいすパン(まあうぐいすパンって本当に人気ないよね)を持って、わたしは結局工事の都合で外側のみの改装となったらしい旧校舎をのんびりと歩く。
人通りはほとんどない。
わたしはリノリウムですらない、古びてところどころ床がひび割れた廊下に足音を刻みつつ、さんさんと太陽にてらされているグラウンドを廊下の窓から見る。グラウンドでは制服の上着を脱いでバスケに興じる男子生徒達が遠目に見えた。
この旧校舎はところどころ天井の隅なんかにはよくわからない染みなんかもあったりして、不気味な雰囲気をかもしだしている。一部の特別教室や部室等を除くとほぼ資料室といった趣のこの校舎。まあ好き好んで天気のいいお昼休みにわざわざ訪れたいと思う場所ではない。
ま、そこが好都合なんだけど。
わたしは廊下の端にある職員トイレに入る。あまりの使い勝手の悪さ(どう考えてもここに行くより別の場所に行ったほうがいい)にほとんど使われておらず、どこか埃っぽくすらこのトイレには驚くことに椅子があったりする。プラスチックの丸椅子だけど。
その椅子に一人の男子生徒が腰掛けて、おにぎりを食べていた。
「よう、待ったぜい」
スポーツ刈りでさっぱりとした印象のその男子生徒は、わたしに対して右腕を上げる。
「……前から思ってたんだけど、トイレでものを食べるのはやめない?流石に気分が……」
「風情のわからんやつだな」
「あなた風情という言葉に対して全力で謝ったほうがいいわ」
控えめなわたしの抗議に屈せず、職員トイレでおにぎりをむさぼり食うこの男は2−Dの葛西業平。男女問わず交友関係が広く、特に運動部系の人間と仲がいい。成績は悪くも良くもなく、人懐っこく明るい性格でいわゆるクラスの人気者。
ここまではまあその、よくいるタイプだ。ただ、プロフィールの最後こう付け加えねばならない。備考:情報屋 と。
和真の紹介でこの男とは知り合ったのだが、最初聞いた時はなにかのジョークかと思ったものだ。そんな漫画や小説じゃあるまいし。
だが、学内の噂のほとんどをこいつが把握しているのもまた事実だったりする。特に恋愛系の噂はめっぽう強い。
聞く所によると、この情報屋という肩書きをもつ人間は学年ごとにいて、年々受け継がれているこの学校の伝統だとか。……実に阿呆な話だと思う。
「んで、ご依頼の件――お前のクラスの白倉関係だったな……もともと人気あるやつだから狙ってるやつなんかごまんといるんだが・・・まあわかってるとこだけいくぞ?1年だと、1-Bの山口こいつは中学が一緒だったみたいだな。1-Dの三笠……去年の文化祭で一目ぼれだそうだ。1-Fの駿河……ま、こいつが一番本命かもな。顔は申し分ねえしかなり人気あんしな。続いて2年……」
わたしは職員トイレの入り口に体をもたれつつ、ペットボトルを一口飲みながらその情報を頭に入れてゆく。
なぜわたしがこんなことをしているかというと――。
1週間前くらいからだろうか。白倉さんの表情に陰が差し始めたのは。
まあその、いわゆる思春期なのだし(お前も思春期真っ只中だろ、と言うご指摘はごもっともなのだが、まあそのわたしは環境が思春期うんぬんで悩んでる暇も……)、悩みの一つ二つあったところでなんら不思議ではない。
なのでそこまで気にはしなかったのだ、2日前までは。
2日前、白倉さんが授業中に突然気分が悪くなり、隣の席のわたしは保健室につきそいでついて行った。白倉さんをベッドに寝かせて様子を見ていたら、白倉さんの携帯にメールが着信し、その震動で上着のポケットから携帯が落ちた。
正直に言おう。かなり迷ったのだ。でも、わたしはそのメールの着信がものすごく、ものすごく気になった。
その新着メールを読んでわたしは久しぶりに少し怒った。
内容を要約すると(したくもないが)「君は僕の所有物です」的ことが延々と逐一、身体的特徴にもつぶさに触れて書いてあり、まあなんというか、実に生理的嫌悪感を掻き立てる、ストーカーのお手本みたいなメールだった。
ちなみにそのメールはアドレスを記憶し、すぐに削除しておいた。精神衛生上悪いことこの上ない。
帰り際、白倉さんには多少相談にのる旨の水をむけてみたのだが、明るく返されたのでそれ以上わたしは何も言えなかった。
で、とりあえず独自にやることにしたのだ。幸いツテもあることだし。
「……ま、こんなところか。正直、隠れファンまでは把握できん」
おにぎりの包みをビニールに入れながら葛西はそう言う。
「いえ、どうもありがとう。はいお代」
わたしはサーモンフライサンドを渡す。
「……もうちょっと他のはねえのか」
「遺憾ながら。私見でいいんだけど、その中でストーカーしそうなのっている?」
「……なるほどね、そういうことか。偏見でいいなら2-Bの三木とかだが……似合いすぎてあんまりか。ストーカーってのは意外にまともそうなやつって言うしな」
「あまり流さないでくれると助かるわ。本人から直接聞いたわけではないし」
わたしは一応釘を刺す。
「へーへー。お得意様の意向だから尊重するよ。あんた敵に回すと和真の野郎までついてくるからな……割に合わん」
「どうでもいいんだけど、セット販売みたいな言い方やめてくれる?別に付き合ってるわけでもなし」
「というか噂流そうとしても誰も信じねえんだよなあ……おまえら少しは学校で接触しろよ……」
わたしの抗議は無視して溜息をつく葛西。
「特に興味ないし。ああそうそう、図書室の例のうわさ、結構広まってるみたい。仲山さんのとこにも真偽を確かめに何人も来てるみたいだし。ついかでこれについても調べといて。結果はメールでいいわ……っていうかさ、わざわざ直接会う意味ってある?かなり面倒くさいんだけど」
「形式美ってやつを理解しろよな……それに文章で残るのは嫌いなんだよ」
葛西は顔をしかめて言う。寂れた職員トイレのどこに形式美があるんだ、と思ったが無駄だと思ったので言わなかった。
「じゃ、よろしく。足りない分は今度何か奢って補填するから」
「あんま期待しないで待ってるぜい……」
わたしはそのまま立ち去ろうと思ったが、聞き忘れたことがあったのを思い出した。
「素朴な疑問なんだけど。わたしって1年生に名前知られるぐらい有名?」
「おい、自覚なかったのかよ…?」
完全に呆れられた。おかしいな。わたしは平凡な高校生活を営んでるはずなのに。
◆
さて、授業もつつがなく終了し、放課後になった。
とくに買わなければいけないものもなく、例の件のこともあるので、白倉さんと一緒に帰るかなと思っていたら。
教室の入り口にたたずむ眼鏡の人を発見した。………すごい嫌な予感。
「もしかしなくてもわたしに御用事だったりするんでしょうか」
「ええ、もちろんよ幽霊部員の坂下さん」
眼鏡の文芸部部長はしっかりとそうおっしゃった。
わたしの目の前にいるこの方は、眼鏡が特徴の3年生、二本柳 縁 先輩である。
さっきから眼鏡を強調しているが、彼女を構成するパーツで一番目立っているのがそこだからで、特に他意はない。いまどき黒縁で分厚い眼鏡かけてる人も他にいないだろうしなあ・・・・まあとにかく、存在感がある人なのだ。
「さ、行きましょうか」
「あの、説明を希望したいんですが」
手を掴まれ、ずるずる、と思ったよりかなり強い力でひっぱられながらも、そう抗議をするわたし。
「人手が足りないからいいからさっさと来なさい」
試しに体重をかなり預けてみてもスピードを緩めることなくわたしを引きずってく部長。
……本当に文芸部なんだろうか。しかし、今日はイベントに事欠かない日だなと思う。
ちらりと白倉さんを確認。クラスのみんなと遊びにいくみたいだとりあえず安心かな……明日、切り出してみるかな。おせっかいかも知れないけれど。
◆
「終わった……なんとか終わった……」
「お疲れさまー」
結局用事というのは部誌の会議と資料の運搬とその整理と分類……なんで全部いっぺんに一日でやろうとするんだろう……わたし部誌に投稿しないからすっごい会議暇だったんですけど。
外はは見事に茜色である。もうすぐ日も落ちるんじゃないかなあ……はあ。
今は、他の部員が去った後、部長と二人で後片付けをやっていたところで、それもようやく終わったところだ。
「あ、嘘、もうこんな時間!?」
わたしが部室を見渡して、最終チェックをしていると、時計を見て慌てた様子の部長の様子が目に入った。
「あ、部長あとやっておきますから、いいですよ先に帰って」
わたしはもうどうにでもなれ、といった心境だったのでなげやりにそう答える。
「そう?じゃあ鍵よろしくね」
なんの用事かは知らないけど、かなり嬉しそうなようすの部長は、スキップしそうな勢いで部室を出て行った。
………まさか男じゃあるまいな。
◆
文芸部室の鍵をかけ、確認のためにドアを引くと、わたしはキーを指でくるくると回してみたりする。あとは鍵を返して終了だ。
「さてさて、帰るかなっと……」
独り言を呟きつつ、職員室にむけて歩き出す。
おや?まだ図書館に人がいるのかな?腕時計で時刻を確認する。あれ。とっくに閉館時間は過ぎてると思うけど……別に人自体はいてもおかしくはないのだが、その人影が制服を着ているように見えたのが少し気になった。
「ま、図書委員か何かかな。帰ろうっと」
わたしが、そう口に出して再び歩き出した瞬間、頭の中から声が響いた。
『いーち』
――――え?
ぞくり、と体に寒気が走る。寒気が走った理由ははっきりしている。その声から感じられる感情があまりにも。
『にーい』
心の底から愉しそうで。
『さーん』
でもものすごく冷たくて。
『よーん』
声は休むことなくますます響く。まずい。何かわからないけどものすごくマズイ。
『ごーう』
わたしは廊下を走り出す。
『ろーく』
とりあえず外に出よう。この中にいてはいけないとわたしの勘が叫んでいる。声はますます大きく強くなる。
『なーな』
もう部活の活動時間も終わっているためか、扉が閉じられている校舎の出入口に着く。
『はーち』
ノブをひねる。ノブはピクリとも動かない。……落ち着け。まずは―――確認しよう。
鍵はもちろん内側から開けられるようになっていて、鍵はしっかりと開いている。
『きゅーう』
近くにある窓にとりつき、鍵をあけ、窓を思いっきり横に引く。窓は1mmも動かなかった。―――肝が逆に据わった。
『じゅーう』
大きく深呼吸をして、鞄から携帯を取り出す。液晶画面を見て顔をしかめる。
画面には『圏外』の二文字。
……街のど真ん中なんだけどな。
さて―――どうしたもんでしょう。
◆
坂下空音。現実的、非現実的を問わずあらゆる災厄に巻き込まれる少女。
これは彼女の日常をただ綴った、それだけの物語である。
3話 古本は紙魚の骨を食べるか -1-
わたし、坂下空音は高校2年生だ。
『高校生2年生である』、ということは、『平日は学校に行く』ということである。
まあ中には学校に行かない高校生もいるとは思うけど。
身近な例を上げると、和真は出席日数は大丈夫かと心配するくらい学校に来ない。
・・・・もっとも学校であんまりお互いに接触しないのでこれも80%くらいが伝聞情報なんだけれど。
というわけで、わたしは朝の通学路を一人歩く。
周りは私と同じブレザーの制服に身を包んだ女子高生達と、それと同じくらいの数、スカートの代わりにズボンを履いた男子の姿が見える。(ふと思ったのだが、不思議に男子高生とは言わない。音で聞くと男子校生と変わらないから、紛らわしいのを避けるためかとも思ったけど、よく考えると女子校生も同じことだ。なんでだろう)
そんなどうでもいいことを考えながら歩いているうちに、正門に到着する。
人波に流されるまま、正門をくぐり、教室へ。この学校は県内でも割合レベルが私立の高校らしく、かなりの進学校と言って差し支えない。
わたしはここの試験をかなり適当に受けた覚えがあるので、今考えるとよく通ったものだ。この高校を選んだ理由が、マンションから近くて、制服が可愛かったからというのが主な理由なあたり自分でもどうかと思うし。でもだいたい今時、高校選ぶ理由ってそういう軽い理由じゃないかなあと思わなくもない。
スカートがあまり好きではない私でも、このチェックの柄のスカートは可愛いと思うし。
まあ制服の話はこれくらいにして。
わたしは朝の喧騒に賑わう校舎内に入っていく。
階段を登って2階へ上がると、わたしは2−Aと書かれた札がぶら下がっている教室のドアを開ける。ちなみに和真は2−F。廊下の一番奥の教室だ。
わたしは軽くおはよう、などとにこやかにクラスメイトに挨拶しながら自分の席――後ろから2番目の窓側というなかなかの席だ――に滑り込む。
実はわたしは『欠席』はあっても『遅刻』はない。まあ遅刻するくらいなら休んだほうがいいという考えの持ち主ではあるのだが、だいたい休む理由はなんらかのトラブルに巻き込まれた時なのでなんというか不可効力なのだ。本当は皆勤賞を目指したかったのだが、こればっかりはしょうがない。
「あ、坂下さんおはよー」
わたしが鞄から教科書を出して、机の中にしまっていると、隣の席から声がかかる。
「おはよう、白倉さん」
軽くあいさつを返し、隣の席で他のクラスメイトと楽しそうに喋っている彼女をじっと観察する。
薄く茶色に染めたショートヘアが活発な印象で、コロコロ変わる表情も魅力的だ。
男女交えての朝の何気ない会話でも、そのグループの中でも彼女は話題の中心だ。
特にわたしはその輪に加わらることもなく、窓の外の景色をぼんやりと眺める。隣からはたまに笑い声が響いてくる。話題は芸能関係のようだ。
わたしはすっぱりきっぱりゴシップにはあまり興味がないので右から左に流す。
まあその、これが珍しいということは自覚している。だから別に話題に加わることもなく、聞き耳を立てるに留める。
「でもさー絶対すぐ別れるっぽくない?」「思う思う」
などという声を右から左の耳に流しながら、わたしは首だけ傾けて、白倉さんを再び観察する。
彼女はこのクラスで男女隔たりなく、最も交友関係が広い生徒だろう。わたしは、話しかたに嫌味がないのが同姓にも異性にも好かれるの理由だろうなと推測している。 わたしはどちらかといえば集団で行動するのが嫌いなタイプなので下手をするとクラスでは孤立してしまいかねないのだが、彼女の人柄というか行動力というか、出席番号が近いせいもあって、彼女に振り回される形で混ざることが多い。
元来、友達は作らない予定だったのだけれど。
彼女のおかげで、クラスの位置的には変わり者扱いで済んでいるのでそこはありがたかったりする。
彼女はわたしが意識的に立てている壁を敏感に感じ取っているらしく、あまりわたしの内面には踏み込んでこない。内側と外側の微妙な境目を見極めるのが上手いのだ。それを意識的にやっているのか無意識的にやっているかはともかく。それが彼女との友人関係を持続させているのだろうなと思う。
念のために言っておくと、わたしは彼女を得がたい友人と思っている。わたしみたいなのに接触してくる理由や目的は定かではないが――こうしていちいち分析しているわたしが一番問題なのだろうけど。わたしは白倉さんから視線を外し、ほぼ今朝はいつも通りと結論する。
そうこうしてるうちに担任がやって来て、HRがはじまった。
◆
平凡な時間が過ぎて昼休み――わたしはクラスメイトから昼食に誘われたが、今日はお弁当じゃないから、と断り鞄からハードカバーを一冊取り出すと、返却するために足を図書館に向ける。
この学校の図書館は学校の創立者が相当な古書の収集家だったらしく、もともと彼の持ち物だった書庫を改装したものだ。数年前の学校全体の改装・増築に伴い、独立していた書庫を校舎と繋げ、ついでに電子化――といっても昔ながらの図書カードを廃止してバーコード管理になったというだけの話だが――も行われた。
本が好きなわたしにとっては嬉しい話である。
と、まあ高校にしては屈指の規模であると思われる図書館に、私は足を踏み入れる。
入館カードを通し、返却カウンターにむかう。
「あ、こんにちは、坂下さん」
カウンターに座っていた司書のお姉さん――仲山さんが常連であるわたしに挨拶をしてくれる。こういっては何だが、制服を着ていれば絶対に高校生に間違えられるくらいの丸顔で童顔なひとだ。本人はそれがかなりのコンプレックスのようだけど。
この規模だと司書の人数も普通の学校よりかなり多くなる。頻繁に利用する身としては司書さんたちと仲良くもなろうというものだ。
稀覯本もかなりの数があるとかないとか。その一部は別室になっている展示室に行けば見ることができるようになっていたりもする。
「新刊入ってます?」
わたしは仲山さんに本を裏返してバーコードの面を見せた状態で渡しながら、そう聞く。
「あ、坂下さんが言ってたやつ入ってるよ」
それを受け取り、慣れた手つきで返却作業を行いながら彼女はそう嬉しそうに答える。いわゆる本好き同士の連帯感というやつだろうか。
「あ、じゃあいつものようにお願いします」
「はいはいー、一番にしとくね」
いつものようにというのは、新刊がデータ処理される前、すなわち予約開始前に一番に予約を入れるというかなりの反則技である。
これはでも常連になれば誰でも結構やってることなので別段ものすごく不公平というわけではない。聞いた話では伝統なのだとか。
わたしがよく予約するのは主にハードカバーで、ミステリ系が多い。
ちなみに仲本さんはその童顔に似合わず、社会系のミステリーやハードボイルド、政治陰謀物などの実に暗いジャンルが好みだ。人は見かけで判断してはいけないとつくづく思う。
「そうそう、例のうわさ、だいぶ広まってるみたい」
「え、そうなんですか?」
わたしは少し驚いたのでそう問い返す。
「うん。だってわたし、何人も聞かれたもん。普段利用しない人たちが多かったけど」
「うーん、こっちとしてはいまさらな感があるんですけどね」
今、話題にしているのは最近になって生徒の間で広まっているある噂についてだ。
―――図書館の書庫には必ず恋をかなえてくれる本がある。
本の見つけ方は、目隠しをして第2書庫の入り口から前に20歩、右に6歩、左に15歩。
その棚の上から2段目の左から6つ目にある本を取り出す。
途中で目隠しをはずしてはいけない。
あとはその本の後ろから四ページ目に書いてあるとおりにすること。
でも、気をつけて。気をつけないとあなたがいなくなってしまうから。
でも、想いががとどくかどうかはあなたの行動しだい。
でもあなたのおもいがたりないときは、おもいごとなくなってしまうよ、気をつけて――
恋のおまじない系の派生だとは思うけど、いやに手順が具体的なんだよなあ・・・
それにじつに後半が不吉だ。まあ黒魔術系のおまじないだってそれなりのリスクはあるもんなんだけど。
「でも、今は第2書庫ってないんですよね、確か」
「うん、この間の改装で潰しちゃったみたいなのよね、今、書庫って新しいのが1つきりだし」
仲山さんはそう言って後ろをちらりと見る。そっちのほうに書庫の入り口があるからだ。
この噂自体は昔からあるらしいけど、最近特に流行っているらしいのだ。
ちなみにかなり古くからあるらしく、図書館の常連は怪談としてこれを聞くことになる。
これを実行したかなり前の図書委員が行方不明になったとか。
今でも書庫には「かえして」というその人が書いたという文字が壁に刻んであるとかなんとか。その文字の下には宛名のないラブレターがあったそうだ。
尚、補足しておくと、この人は実は転校しただけだったらしいというなんとも拍子抜けしたオチまでついている。
まあ怪談なんてだいたいそんなもんなんだけど。
「やろうとしたって実行できないですよね」
「うーん、でもなんか聞きに来た子たち隠してる感じがしたのよねえ・・・話自体は本当にあるって言ったら、妙に喜んでたし」
仲山さんは首を傾げている。
「まあ、人の噂も七十五日って言いますし」
怪談とかに当てはまるかどうかは知らないけど。
そう言って話を打ち切ると、わたしは図書館の奥に歩みを進める。まだ昼休みがはじまったばかりなので、利用者はかなり少ない。
私は棚をいくつか通りぬけ、ガラスに覆われた特別展示室に入ると、その中でもひときわ重厚そうなガラスケースに入れて飾られている、一冊の本の前に立つ。
その本の名前は
――Elementa Geometriae ――「ユークリッドの幾何学原論」
という。
能力を意識的に立ち上げる。
『こんにちは、レナートさん』
『こんにちは、シィニョリーナ(お嬢さん)。毎度のことながら君も暇なもんだね』
声ではない伝達手段での会話。
紹介しよう。『彼』はこの図書館の主、といって差し支えない、「ユークリッドの幾何学原論」に魂が宿ったもの――日本風にいえば付喪神だ。
ちなみになぜ彼がイタリア語かというと刊行がヴェネチアだからである。
彼とは、1年のときに彼の独り言をわたしが聞き取って以来のつきあいになる。わたしに声が聞こえているという事実に驚いていた彼だったが(実際日本に来てからは初だったらしい)内容は小難しい数学の本にも関わらず、イタリア人(?)特有の明るく陽気な性格もあってかすぐに打ち解けた。
わたしは付喪神はだいたい破天荒な性格(鈴華がいい例だ)の持ち主が多いので全然気にならなかったけど。
わたしの知る限り、この図書館で『話せる』のは彼だけである。
物に意志が生じる確率というのは『古さ』と『思い入れ』と『その他の要因』が組み合わさっているため一概にどうこう言えないが、古いものほど意志が生まれやすい。
そういう意味では、ずらりと展示されている本の中にも喋れてよさそうな人がいてもよさそうだが、話せるのは今のところレナ―トさんだけだ。
――あ、なんでわたしが話せるのか説明してなかった。
これはわたしの体質であり、能力であり――たぶんトラブルの元にもなっている――『意志を持つあらゆる存在とコミュニケーションが取れる』という力のおかげだ。
生まれつきなので、あまりもうありがたくも何ともないが――英語のヒアリングはこれのおかげで満点である。だって能力を使えば日本語に聞こえるのだから。ちなみに文字に対しては無効なので、英語の成績が良くなるというわけではない。たぶん意志の介在が問題だとは思うのだが――。
『最近はどうだね、お嬢さん。学問に励んでるかね?』
『まあまあですかね。レナートさんちょっと聞きたいんですけど、書庫の噂、知ってます?』
『フム、例のやつかね』
『うん、なんか最近えらく噂になってて――』
『お嬢さん、これは忠告だが――書庫にはなるべく近づかないほうがいい』
わたしの言葉を遮ってそう言うレナートさん。
『――ちょっと待って下さい・・・・・・本当の話なんですか?』
『存在自体は随分昔から知っていたのだがね・・・・・・ここ10年ほど何も感じなかったので忘れていたんだが、どうも最近嫌な気配を書庫から感じるのだよ』
わたしはその言葉に驚いて思わず表情をひきつらせる。
――っとあぶない。傍目からみたらただの危ない人だ。
『うあっちゃあ・・・・・・マジ話なんだ。参ったなあ・・・・・具体的にどんなやつかわかります?』
『さてね・・・・・・・前の時には寝ていたのでさっぱりわからんし、今回は書庫にいるわけでもないからな。とにかく嫌な気だ。やめておきたまえ』
さて、どうしたものかとわたしは思案する。放っておいてもわたしにはとりあえず害はない。しかし、図書館はよく利用するんだなあこれが。それに書庫自体が危ない可能性があるということは、司書の人にも危害が及ぶ可能性があるということだ。
『・・・・・まだ被害は出ていないし、保留します。ちょっと真面目に噂を調査してみるかなあ。まったく無関係で済ませられそうにないし・・』
『――事件に巻き込まれるのは君の体質ばかりが原因ではないと私は思うがね』
その言葉にわたしは苦笑いを返す。
『なんというかもう性分ですので。調べるだけだから大丈夫ですよ』
わたしのその言葉に、肩をすくめて答える彼の姿が見えた気がした。
◆
展示室から出ようと、入り口から一歩踏み出したわたしの体に軽い衝撃が走った。
横合いから飛び出してきた人影が、わたしの体にぶつかったからである。
「っと」
バランスを崩しそうになる体をどうにか整えると、わたしはぶつかってきた相手を見る。
あれ?この娘。確か・・・
「ご、ごめんなさい大丈夫ですか?」
慌てたようすで、わたしにそうきいてくるのは見事な黒髪が頭の後ろ辺りまである目鼻立ちがすっきりした和風美人の小さい娘だった。いくら女子の平均よりわたしがちょっと高いとはいえ、頭二つは低い。リボンの色から察すると1年生ということはわかるが、それにしたって・・・・・・・である。
「あ、うん、大丈夫だから」
「申し訳ありません私の不注意で・・・・・・・」
こちらが逆に申し訳なくなるぐらい頭を下げてくる。
「いいって。まあでも気をつけてね」
「はい、本当にすみません坂下先輩」
――ちょっと待て。
顔を上げた彼女をもう一度よく観察する。
「ええっと・・・・・・前に会ったっけ?」
「いえ、何度かお見かけしたことはありますけど、直接お話しするのは初めてです」
「・・・・・・じゃあなんでわたしの名前知ってるの?」
「え、有名でいらっしゃいますよ?坂下先輩は。文化部全体の予算を力ずくでぶんどったとか、文化祭のボヤの時の放送とか」
目の前の後輩は不思議そうな顔をする。
心当たりがないとは言えないだけに、反論もできない。
予算についてはわたしが所属している文芸部の予算が少ないっていうのを部長から聞いて、ほとんど幽霊部員だしちょっとは貢献するかと思い、なんとか増やしてもらおうと思って調べたら、あまりに運動部との予算の割合がおかしかったんで、
お金の流れをちょろっと調べて。和真にもちょいちょいっと手伝ってもらって裏工作で生徒会と教職員の一部を軽く脅迫して、隠し予算をオープンにさせただけの話なんだけど。
正義とかうんぬんじゃなくて文芸部の予算をふやすにはそれが一番手っ取り早そうだったからやっただけの話だし。
ボヤにいたっては原因がわたしとも言えなくなかったので仕方なくという部分もある。
状況を一番把握してるのがわたしだけだったしなあ。でも・・・・・一年の時の話だぞ?この娘は入学前だと思うのに。
それに予算のほうはわたしが関わってるなんて関係者しか知らないと思うんだけどな・・・
「・・・・・・まあいいけど・・・・そういうあなたは『窓際の君』よね?」
「・・・・・それって私のことなんでしょうか?」
「うん。それても図書館のヌシって呼んだ方がいい?わたしは『窓際の君』のほうは好きなんだけど」
「どちらも遠慮していただけると助かるんですけど・・・・・・・」
控えめにそう言う彼女。
まあそりゃそうだろうな。わたしだって呼ばれるのは勘弁だ。
でもわたしも前から窓際の定位置で本を読んでいる彼女には興味があったし。
しかしなんというか、可愛い娘だ。この子結構人気あるんじゃないかなあなどと思っていると、胸のあたりから震動を感じた。メールの着信だ。
ちょっとごめんね、と断って携帯を取り出してメールを読む。
お、来た。流石に仕事は速い。携帯をしまう。
「それじゃ用事が出来たのでわたしはこれで。それじゃあ」
そう言い捨てると、わたしは早足でその場を離れる。
そういえば結局名前聞かなかったけど、まあ調べればすぐわかるし、前から顔はよくあわせていたんでまたそういう機会もあるだろうなと思ったので、わたしは背後からの
「あ、はいお気をつけて」
という声を背に受けつつ、図書館を後にした。
2話 瓶詰悪魔 -7-
ちーちゃんはわたしに気にするなと言った
あーちゃんはわたしにごめんねと言った
わたしはなにも言えなかった
◆
リビングのテーブルの上に無言で鈴華の入った箱を置く。
『空音。今までありがとうございました。あなたと暮らした間はわたしの人生のなかで最も楽しい期間でした。黄泉路で誇れます』
「鈴華、待ちなさい。なにをお通夜みたいな声出してるの。わたしはまだ負けていない。
おとなしくしてなさい。あなたの出番は来ない」
きっぱりとそう言い放つ。覚悟は決まった。
『空音―――?』
鈴華が不安そうに問う。
わたしは『Memento Mori』と書かれた紙を指で挟み、悪魔にむかって突きつける。
「質問よ悪魔。この紙に書かれている内容だけど。蓋の入手方法と関係あるわね?」
悪魔は、道化師の格好をした悪魔は、わたしの顔を見てなにか悟ったように。
「ああ、関係あるね」
わたしはそれを受けて不敵に微笑む。
「これが蓋の入手方法について書き残せるギリギリの線ね?」
そうなのだ。わたしが後の人間に何か伝えようとする場合、もっとちゃんと詳しく書く。書き残せないのだ。この瓶に関する内容は。さっきわたしの部屋で試してみた。
「ああ、試行錯誤の末出てきたようだったね」
「では、最後の質問よ。蓋の入手方法は、造りだすのね?」
「それはグレーゾーンの質問だが―――いいだろう。答えようじゃないか。その通りだ」
「あんがと」
わたしは軽く悪魔にお礼を言う。
「坂下。何をする気だ」
和真の咎めるような声。あ、こいつもしかして今ので気づいたな。
わたしはポケットから小さ目の万能ナイフを取り出す。
『そ、空音それは―――』
「黙って見てなさい鈴華。援軍を要請したまでよ。大丈夫、こいつには実績があるから」
『――ーわかりました』
鈴華はわたしの覚悟を見て取ったのか素直に引き下がる。
手のひらほどの大きさの瓶をテーブルの上に置く。
万能ナイフからナイフの刃を出す。
左手を瓶の上にかざす。
「坂下お前――」
わたしは自分の手首に躊躇無くナイフの刃を入れた。
軽く血が鮮く。
手首から鮮血が溢れ出すわたしはそれを瓶の口にむけて垂らす。
「なにやって―――!」
「黙って見てなさい」
順調に血は瓶の中に溜まってゆく。
流石にたまっていくのが自分の血だと気分が悪い。
やがて、瓶の縁まで到達した血は溢れる。
わたしはそこで大きく息を吐くと、手首を押さえる。
と、瓶の中の血液に変化が起きる。
動きだした。重力に逆らうように瓶からひとかたまりになって瓶の口から溢れ出すと、
空中で蓋の形になり、凝固。固い音を立ててテーブルの上に落ちた。
どうやら正解だったみたいだ。う、心臓の鼓動が早い。
ちょっと深く切りすぎたかも・・・・
和真がどこから探し出したのか救急箱をもってこちらに来て、
傷を見、顔をしかめ無言で手当てをする。
ものすごい形相をしていた。腕の動脈を抑えられる。
「いかんな。思ったよりは出血してないが、一応病院に行ったほうがいい。手配する」
『空音、早く蓋を――』
ああ、そうだった。
「わたしの勝ちみたいね。あんがと。ああそうだ。あんた名前ないっていってたわね。よければ考えとくけど――」
「敗者は潔く去るのみさ。しかし君はずいぶんと変だね。わたしに対してあまり敵意をもっていないようだ。あまりない経験だ。ああそうだ。あけてしまうとまたこの手順を踏まないといけないので会話する機会はあまりないので名前はいいさ。なかなか楽しかった。そうそう影は返しておいたよ」
悪魔はいつのまにかわたしの傍に立っていた。道化師のメイクの上からでもわかるくらい、どこかさっぱりとした顔をしていた。
「まあそう言わずに、いいからいいから。ま、食べられてしまわないうちに閉めとくね」
わたしは片手でわたしの血液でできた蓋を手に取ると、
「じゃね」
と言って蓋をした。
悪魔は何も言わずに消えた。
「和真、病院って普通のところ?」
携帯でどこかにかけていた和真は無言で睨みつけ、
「いいからおとなしく手首おさえて横になっていろ」
と怒った口調で言った。
ま、そりゃ怒るよね・・・・和真がいたから容赦なく手首切れたって言ったらもっと怒るだろうな・・・
『空音、良かった―――』
鈴華が安堵をにじませてわたしにはなしかけてくる。
「ちーちゃんとあーちゃんのおかげかな」
わたしは小声でそう鈴華に言う。
『――はい。私はそう思います。でも、あの二人がこの場にいたら今の和真様みたいに怒っていると思いますが』
「あーやっぱりそうだよね。また謝ることが増えちゃった」
わたしは、そう言って小さく笑った。机にある刃を血で染めた万能ナイフ。
それがわたしたちの勝利の証。
◆
結局、和真の手配した病院にタクシーで行き、(裏口から病院入ったのははじめての経験だった)処置と輸血を受けて家に帰ってきた。
和真はものすごく怒っているのか口を利いてくれないので実に退屈だった。
まあ体調の心配はしてくれてはいたが。
鈴華も一安心している様子だった。
わたしはまだやることがあった。
「坂下これの処分は俺に任せろ」
和真は瓶を睨みつけながらそんなことを言う。
「だめだめだめ、わたしの家で保管するから」
『―――空音?』
「―――坂下?」
二人して、頭でもトチ狂ったのかといいたそうだ。
「開けなきゃ害ないじゃない」
「それはそうだが――」
『それはそうですが――』
「それにね―――」
わたしは瓶を握ると、能力を最大強度にし、瓶の中にむかって呼びかける。
『おーい!』
『!』
お、通じた。
『よし、なんとか通じるみたいね。じゃちょっと会話しましょうか。わたしが間隔を掴まないといけないから』
『空音、君なのか・・・?』
『そうそ、わたしの能力――あらゆる意志を持つモノとコミュニケーション能力。ってわけ。いやー瓶を突き破れるかちょっと不安だったんだけど、そこにいる、ってことがわかってればなんとかなるとは思ってたはいたんだけど』
『――何の用、だね』
『んとねうちで貴方を保管することになったから挨拶、かな。それとさ、わたしだけなら会話できるからいつでも話しかけていいよ。瓶はリビングに置いておくからさ。暇でしょ?瓶の中って』
わたしはつとめて明るく言う。
『―――』
悪魔はあっけにとられているようだ。
『君は―――相当な変わり者だね』
『おかげさまで。で、さ、名前なんだけど『シャイア』でどうかな」
『・・・・一応由来を聞いておこうか』
『シャドウイーター、略してシャイア』
『・・・・・・』
『あれ?気に入らない?性別とかないだろうから別にいいかなって』
『いや、特に不満は無い。いや、世界は広いな。僕もまだまだだ』
わたしは瓶から手を離す。よし、確立できたかな。
『んじゃそういうことで。気軽に話し掛けてね』
『ああ。そうさせてもらうさ、これでも瓶の外はそれなりに知覚できるのでね。楽しませてもらうことにしよう』
話もついたところで和真に向き直ると、こっちを三白眼で睨んでいた。
「えっと・・?」
『空音。あなたの神経のネジの外れぐあいも相当ですね』
あ、呆れられてる。
「ほ、ほら瓶の中って暗くて寂しそうだから」
『視覚で認識しているわけではないのだが』
・・・・・わたし以外に聞こえなくてよかった。
「ま、坂下がおかしいのはいつものことか」
和真は諦めた口調でそう言うと。台所に入っていった。
「和真?なにするの?」
「お前は大人しくしていろ。飯は俺が作る」
「え、でも悪い――」
「いいから座ってろ」
有無を言わさない口調でそういわれた。
『僕は彼に同情するがね・・・』
『空音、おとなしく横にでもなっていてください』
・・・・なんか口うるさいのが二人に増えたようなだけの気がする。
◆
そんなこんなで。
現在、我が家のリビングには悪魔が入った瓶がひっそりと置いてある。
2話 瓶詰悪魔 -6-
わたしは自分の性質がだんだん強くなっていくのを感じた。
二人から距離をとった。
二人ともものすごく怒った。
わたしは泣いた。
結局仲直りした。
わたしはこれを今でも――
◆
時計の針と共に死は確実にわたしに迫る。
和真はいろいろと悪魔に質問している。
それによっていろいろ分かった。悪魔の背景は。
この悪魔自体は古代の魔術師に召喚され、そのまま瓶に定着させられたそうだ。
主に暗殺に用いられたとか。そりゃまあ影食べて人を殺すんだから暗殺向きだろう。
やがてその魔術師も死に、瓶と悪魔だけが残る。
あとは人づてに点々とし――時には使われ、時には倉庫で数百年――
そうやって今わたしのところにだそうだ。ここ百年くらいは日本にいたらしい。
前の持ち主がこの勝負に勝ってしばらくその手元にあったという。
だから、勝てるのだ。このゲームには。『Memento Mori』という紙もその前の持ち主が入れたものらしい。もうすこし分かりやすい警告にしてもらいたかった。・・・警告。
質問に疲れたのか、和真はこちらにやってきてわたしの真向かいに再び座る。
「もう、時間がない。瓶を壊すことを提案する」
和真は淡々とそう言う。
「あれはなんて言ってるの?瓶を壊した場合」
わたしは視線をちらりとやって、そう質問する。
「わからんそうだ。その前に割れるといいがね、と言っていた」
「やめておきましょ。まだ時間はあるし。割れたら割れたで大事そうだし」
「残り時間はもうすぐ1時間を切る。悠長に構えている場合じゃないんだぞ・・・・!」
和真は悲痛な声を出す。クレバーなこいつが珍しい。まあ知り合いが死ぬのがわかっていて止める手段がわからないというのはそりゃこたえるだろうけど。
「わたしは多分蓋をする以外の手段で助かる方法はないと思う。勘だけどね。まあそりゃわたしが思いつかない方法があるという可能性も否めないけど、蓋を手に入れるしかない、と思う」
わたしは自分の見解を述べる。死を前にわれながら落ち着いているとは思うが。
いいのだ、自分が死ぬんだから。わたしのせいで他人が死ぬよりずっといい。
「ねえ、わたしが死んだ後あんたはどうなるわけ?外に出たまま?」
悪魔にそう質問する。
「いいや、一度瓶にもどるさ。そしてまた次の獲物を待つと言うわけだね。
そうそう、一人殺したあとは自動的に蓋がされるから安心していいよ」
悪魔はこちらを振り向きそう答える。
この後に及んであれだが、わたしはこいつ個人に対する印象は悪くない。
変な話だが。たぶんこいつはそういう存在なのだ。本質的にはあの悪魔は孤独だろう。
ただ人の影を食べて瓶の中で生きるというのは、どういう気持ちだろうか。
『空音―――わたしを持ってきてください』
そんな今から殺される人間が持つにしてはありえない、同情にも近い感情をもてあましていると、鈴華から声がかかる。わたしはその鈴華の声色にハッとなる。
「なに、するつもり?」
『空音、わたしにそれを移します。わたしの命に代えてもあなたは守る。いいから早くわたしを持ってきてください』
「お断り。こう言ってはなんだけど、それで助かるって保証はないし。最悪あなたが死んでわたしはそのままって事態がありうる。冗談じゃないわ」
そう、冗談ではない。鈴華を失う可能性があるくらいならわたしがおとなしく死んだほうがいい。鈴華はわたしが物心つくころからの付き合いだ。絶対にそんなことはさせられない。
『空音、お願いです―――あなたがこのまま死ぬのを座してまつなど――ー私には耐えられない』
鈴華は涙声だ。
わたしは沈黙でそれに答える。
『和真様。お願いですどうか私を持ってきて下さいませ』
鈴華は聞こえないと知っていつつも和真にそう頼む。
和真が静かに立ち上がる。
「どこ行くの和真」
「トイレだ」
「嘘でしょう」
両者の間に沈黙が落ちる。
たぶんこいつは察した。
「悪いが、俺は鈴華さんとお前だとお前をとる」
「いいから座って。そんなことをしてみなさい。わたしは和真を許さない」
わたしははっきりと言い放つ。
「別に許されなくてもかまわんさ」
和真は一瞬だけ逡巡し、そう言ってリビングを出ようとする。
「わかったわよ。持ってくればいいんでしょ」
それを遮るようにわたしはそう言うとリビングを出る。
わたしは廊下を歩きながら考える。
さて、実は一つだけ答えらしきものがもう出ているのだ。
多分これが正解だとは思うのだけど。
外れた場合次の手段がとれないので一番後に回していたのだ。
わたしは自分の部屋に入る。まずは確認だ。そこらに置いてあるメモ帳を広げ、
ペンを持つ。・・・・・・・やっぱりか。ペンを筆立てに戻す。
次に机の一番上の鍵を開ける。
中から封筒を取り出す。
慎重に、中に入っていたものを取り出す。
「ちーちゃん。あーちゃん。お願い、力を貸してね―――」
なかから取り出したそれをポケットに入れるとわたしはタンスを開け、わたしは鈴華が入っている桐の箱を持って、リビングに向う。
決戦だ。
2話 瓶詰悪魔 -5-
中学になってもわたしたちの関係は変わらなかった。
ちーちゃんもあーちゃんもけっこうもてた。
好きな人の話もした。将来についても話したりした。
◆
1時間が過ぎた。
和真は一人で瓶の蓋を捜索していたが見つかっていない。
わたしはさっきからこうしてボーっとソファーに座っている。
悪魔について考える。
影を食べる悪魔。古いガラスの小瓶から出てきて人間の影を食べる。
よく喋る。実体はない。物理的攻撃は効かない。鈴華の呪いも効かない。
「鈴華、効かないってどういうふうに効かないの?弾き返される感じ?」
わたしは思い立って鈴華にそう訊ねる。
『いえ、呪いが素通りしているという感じです・・・・空音、大丈夫ですか?』
「素通り・・・・」
要するにほぼ無敵、ということだ。力ずくで排除、というのは根本的に無理そうだ。
だとするとやはり蓋をするしかない。
しかし蓋が無い。黒っぽいコルク栓みたいな形をした蓋。
わたしは瓶と一緒に入っていた『Memento Mori』と書かれた紙をじっと眺める。
死を想え。今思えば警告だったのか。いままさにわたしは死について考えているのだから。
「だいたい、そんな紙まで入っているような瓶の蓋を不用意に開けるお前もお前だ」
探すのを諦めたのか真向かいに座った和真が疲れたように言う。
「うん、まあその通りなんだけどね」
わたしは半ば上の空でそう答える。
わたしはこの1時間箱を開けてからの、わたしの記憶を脳内で再生している。
手がかりはこれしかなさそうなのだ。
まだリビングのテーブルに座っている悪魔を横目で見る。
TVを消されてやることもないのかのんきに欠伸なんかしている。
―――TV?・・・・TV!
圧倒的に強い悪魔。条件。ルール。言動。
わたしはソファーから立ち上がる。
新聞のTV欄を見る。あった。
わたしは有無をいわさずTVをつけ、チャンネルをその番組に合わせる。
その番組は年に何回かあるクイズ番組で、芸能人が大勢出ている大掛かりなものだ。
今日はその再放送があっている。
ちょうどクイズの場面だ。クイズは連続して次々と出題される。
4択のクイズで時間内にABCDのどれかを選ばないといけない。
わたしはボリュームを上げ、悪魔を観察する。
悪魔は「B」「A」「これはわからないがCだろう」
などと律儀に全て答えている。
わたしはTVを消す。
「質問します。あなたは質問には必ず答えなければならないのね?『はい』か『いいえ』ではっきりと答えなさい」
「――――はい、だ」
悪魔はやれやれといった感じでそう答えた。
「そしてその答えには嘘をつくことはできないのね?」
「その通りだ」
そうなのだ、思い返してみればこの悪魔は質問には律儀に全て答えていた。
わたしの目的は何か?という質問に、『悪いコト』などと迂遠な言い回し。
嘘はつけないが、答えになっていればいいのだ。
たぶん出てきて喋りっぱなしだったのも質問をされないための予備動作。
TVは初めからついていた。TVに興味がないにしてももし質問が出た場合
会話の流れをぶった切っていきなり質問に答えるという状態が発生してしまうのだ。
それなら初めからTVに興味があるふりをしていたほうが良い。
あとは質問するだけだ。
「あの瓶の蓋はどこ?」
「――――知らないね」
・・・・悪魔は関与してないのか。
「あの瓶の蓋はどうなった?予想でもいいから答えろ」
和真もこちらにやってきてそう質問する。
「この世から消え失せたのだろうさ」
悪魔はそう歌でも奏でるように語る。
この世から消え失せた。つまり、瓶の蓋はこの世にはない。消滅したということだろう。
「もう一度確認しておくわ。わたしが助かるにはあの瓶に蓋をすればいいのね?」
「その通りだ」
「で、蓋はもうこの世にないというわけか?」
「その通りだ」
「それでもまだわたしが勝つ方法はあるのね?」
「―――その通りだ」
ということは、次の質問で全て解決するはずだ。
「蓋はどうやって手に入れればいいの?」
悪魔は。不敵に微笑む。
「僕はね。その質問にだけは答えなくていいことになっているんだ」
甘くはなかった。
「さあさあ物語はクライマックス!ようやく解決の糸口が見えてきた悪魔対人間の大勝負!どちらさまも最後までじっくりと御覧あれ―――残念だったね?」
残り、1時間50分。
2話 瓶詰悪魔 -4-
たまにケンカもした。
でも最後にはちゃんと仲直りした
3人で笑って3人で泣いた
◆
不本意ながら夕食の準備は中断した。和真に一通り事情を説明する。
「いやはやひさびさに面白い展開だ!助っ人の介入によって真実は白日の下にさらされ一気に事態は急展開!ほんとに素晴らしい!さあさあ後半の展開をおたのしみにというわけだね運命に立ち向かう可憐な少女というのはえもいわれぬ味わいがあるというわけだねハハハハハ!」
悪魔は相変わらずのテンションで喋りつづけている。
『黙りなさい・・・・・!即刻空音に危害を加えるのをやめなさい・・・!』
鈴華の呪詛でも詠んでいるような声音。
「負け惜しみかね愚鈍な付喪神?さきほどから僕に対してなにかしているようだけど無駄なあがきすなわち徒労というものだよ!まあ無駄こそ人が生きていくの必要な重要なエッセンスというのなら僕はそれを止める気は少しもないけれどね!」
『―――』
鈴華は歯軋りをして黙り込む。
『申し訳ありません空音。私の呪いはこの腐れ悪魔には効果がないようです・・・・それどころかあなたに危害が加わっているのにすら気づかず・・・・』
搾り出すような鈴華の声。
「いいよ。もとはといえばわたしが悪いんだし」
わたしは短くそう答える。
追い詰められている。わたしは追い詰められている。
「悪魔。聞くけど、このままだとわたしはどうなるのかな」
わたしは淡々とそう聞く。
「そりゃもちろん死ぬね」
悪魔は明日の天気でも聞かれたかのように簡単にそう言ってくれる。
『―――』
鈴華が息を飲む音がする。
和真は予想していたのか表情に変化はない。
むろんわたしも影を見たときからそうではないかと思っていたのでそれほどショックはない。
「いやしかし君の精神力はじつに素晴らしいとわたしは思ってるのだよ!これだけの時間であれっぽっちしか食べれていないのだからね?いやはやいい獲物に――」
和真が何の前触れもなく、無言でどこからか取り出したナイフをテーブルの上にあった悪魔の手に突き刺す。
「―――めぐりあえたことに感謝を。クックックッ」
悪魔は何事もなかったように言葉を続けた。
「やはり実体ではないか」
和真は悪魔が平気な顔をしているのも予想済みだったのか、悪魔の手を貫通して下のテーブルに刺さったナイフを回収する。
「本体は坂下の影の中だな」
「ご名答!この姿はただの幻影にすぎないんだなこれが!影の影というとわけがわからないがね!いやはやなかなか君のボーイフレンドは優秀だね!」
「坂下、これが入っていた箱はあるか」
和真はまるっきり無視してわたしに質問する。
「うん、これ」
箱を持ってきて差し出す。
和真は箱を調べていたが、
「駄目だな。普通のダンボールだ」
箱をテーブルに放る。
「あ、それはいいけど人の家のテーブルにナイフで穴あけるのはどうなの?あとで補修しといてよね」
わたしは和真にそう軽口を叩く。
「お前な」
『空音』
両者から突っ込みが入った。
まあ気持ちはわからなくないけど。
「さて、悪魔さん?わたしが助かる方法はあるのかしら?」
答えてくれるとは思っていなかったがそう質問する。
「無論あるに決まっている。そうでないとあまりに不公平というものではないかね?」
悪魔は当たり前、という風にそう答えた。ん?これってもしかして・・・
「その方法は?それともその方法を探すのもこのゲーム・・・・いえどちらかというとシステムに近いのかな、まあいいけど。ともかくわたしはあなたに勝たないといけない。
ルールの説明ぐらいして欲しいものだけど」
完全な鎌かけだ。鈴華の攻撃も通じない、悪魔は実体でない、それに今言った不公平、という言葉。あまりにわたしに不利すぎる。一方的に影を食べられてはいおしまい。というのは。古来より悪魔と人間の間で行われるのは知恵比べと相場が決まっている。多分これは、悪魔と人間が戦うというシステムなのだ。そうでないとわざわざわたしの前に姿をあらわす必然性がない。もっとも、この予想はわたしの希望的観測が含まれているのは否めない。
「簡単なことだよ!わたしが入っていた瓶にもういちどしっかり蓋をすればよろしい!それで君の勝ちだとも。いやはや頭も回るね!その通り、これは君と僕のゲームだ。僕が影を全部食べ終わるまえに蓋を出来たら君の勝ち、できなければ君の負け。単純だろ?」
多分そんなことじゃないかと思っていたのだ。テーブルを観察していたわたしは溜息をつく。
「坂下―――蓋はどこだ」
和真の緊迫した声。
「そのへんに無いのならないんじゃない?」
テーブルを観察してたしかに瓶の横に置いておいたはずの、蓋がないことに気づいていたわたしはそうそっけなく答える。希望を与えて突き落とすのは悪魔がいかにも好みそうな手だ。わざわざ大きなリアクションをとることもないだろう。
「鈴華。蓋、知らないよね」
『―――そんな、さっきまで確かに―――』
「鈴華も知らないって」
わたしは和真にそう通訳する。
「悪魔さん?蓋知らないかな」
「知らないねえ。どこに行ったんだろうねえ」
悪魔はそらとぼける。
「貴様――」
和真が悪魔を睨みつける。
「和真、無駄無駄。やめときなさいって」
わたしは立って、自分の影を眺める。この割合からすると――
「3時間くらいかな」
「だいたいそのくらいだね」
悪魔も肯定する。
微妙な時間だ。差し迫っているというでもなく、長いとはお世辞にも言えない。
さあ、掛け金はわたしの命。考えろ。