3話 古本は紙魚の骨を食べるか -2-

昼休みも半ばを過ぎた。
 怒涛のラッシュも過ぎ、人もまばらになった食堂近くの購買で350mlのペットボトルと、かろうじて残っていたと思われるサンドイッチ(少し形のくずれたサーモンフライサンド、見た目も味も値段も微妙)とうぐいすパン(まあうぐいすパンって本当に人気ないよね)を持って、わたしは結局工事の都合で外側のみの改装となったらしい旧校舎をのんびりと歩く。
 人通りはほとんどない。
 わたしはリノリウムですらない、古びてところどころ床がひび割れた廊下に足音を刻みつつ、さんさんと太陽にてらされているグラウンドを廊下の窓から見る。グラウンドでは制服の上着を脱いでバスケに興じる男子生徒達が遠目に見えた。
 この旧校舎はところどころ天井の隅なんかにはよくわからない染みなんかもあったりして、不気味な雰囲気をかもしだしている。一部の特別教室や部室等を除くとほぼ資料室といった趣のこの校舎。まあ好き好んで天気のいいお昼休みにわざわざ訪れたいと思う場所ではない。
 ま、そこが好都合なんだけど。
 わたしは廊下の端にある職員トイレに入る。あまりの使い勝手の悪さ(どう考えてもここに行くより別の場所に行ったほうがいい)にほとんど使われておらず、どこか埃っぽくすらこのトイレには驚くことに椅子があったりする。プラスチックの丸椅子だけど。
 その椅子に一人の男子生徒が腰掛けて、おにぎりを食べていた。
「よう、待ったぜい」
 スポーツ刈りでさっぱりとした印象のその男子生徒は、わたしに対して右腕を上げる。
「……前から思ってたんだけど、トイレでものを食べるのはやめない?流石に気分が……」
「風情のわからんやつだな」
「あなた風情という言葉に対して全力で謝ったほうがいいわ」
 控えめなわたしの抗議に屈せず、職員トイレでおにぎりをむさぼり食うこの男は2−Dの葛西業平。男女問わず交友関係が広く、特に運動部系の人間と仲がいい。成績は悪くも良くもなく、人懐っこく明るい性格でいわゆるクラスの人気者。
 ここまではまあその、よくいるタイプだ。ただ、プロフィールの最後こう付け加えねばならない。備考:情報屋 と。
 和真の紹介でこの男とは知り合ったのだが、最初聞いた時はなにかのジョークかと思ったものだ。そんな漫画や小説じゃあるまいし。
 だが、学内の噂のほとんどをこいつが把握しているのもまた事実だったりする。特に恋愛系の噂はめっぽう強い。
 聞く所によると、この情報屋という肩書きをもつ人間は学年ごとにいて、年々受け継がれているこの学校の伝統だとか。……実に阿呆な話だと思う。
「んで、ご依頼の件――お前のクラスの白倉関係だったな……もともと人気あるやつだから狙ってるやつなんかごまんといるんだが・・・まあわかってるとこだけいくぞ?1年だと、1-Bの山口こいつは中学が一緒だったみたいだな。1-Dの三笠……去年の文化祭で一目ぼれだそうだ。1-Fの駿河……ま、こいつが一番本命かもな。顔は申し分ねえしかなり人気あんしな。続いて2年……」
 わたしは職員トイレの入り口に体をもたれつつ、ペットボトルを一口飲みながらその情報を頭に入れてゆく。
 なぜわたしがこんなことをしているかというと――。
1週間前くらいからだろうか。白倉さんの表情に陰が差し始めたのは。
 まあその、いわゆる思春期なのだし(お前も思春期真っ只中だろ、と言うご指摘はごもっともなのだが、まあそのわたしは環境が思春期うんぬんで悩んでる暇も……)、悩みの一つ二つあったところでなんら不思議ではない。
 なのでそこまで気にはしなかったのだ、2日前までは。
 2日前、白倉さんが授業中に突然気分が悪くなり、隣の席のわたしは保健室につきそいでついて行った。白倉さんをベッドに寝かせて様子を見ていたら、白倉さんの携帯にメールが着信し、その震動で上着のポケットから携帯が落ちた。
 正直に言おう。かなり迷ったのだ。でも、わたしはそのメールの着信がものすごく、ものすごく気になった。
 その新着メールを読んでわたしは久しぶりに少し怒った。
 内容を要約すると(したくもないが)「君は僕の所有物です」的ことが延々と逐一、身体的特徴にもつぶさに触れて書いてあり、まあなんというか、実に生理的嫌悪感を掻き立てる、ストーカーのお手本みたいなメールだった。
 ちなみにそのメールはアドレスを記憶し、すぐに削除しておいた。精神衛生上悪いことこの上ない。
 帰り際、白倉さんには多少相談にのる旨の水をむけてみたのだが、明るく返されたのでそれ以上わたしは何も言えなかった。
 で、とりあえず独自にやることにしたのだ。幸いツテもあることだし。
「……ま、こんなところか。正直、隠れファンまでは把握できん」
 おにぎりの包みをビニールに入れながら葛西はそう言う。
「いえ、どうもありがとう。はいお代」
 わたしはサーモンフライサンドを渡す。
「……もうちょっと他のはねえのか」
「遺憾ながら。私見でいいんだけど、その中でストーカーしそうなのっている?」
「……なるほどね、そういうことか。偏見でいいなら2-Bの三木とかだが……似合いすぎてあんまりか。ストーカーってのは意外にまともそうなやつって言うしな」
「あまり流さないでくれると助かるわ。本人から直接聞いたわけではないし」
 わたしは一応釘を刺す。
「へーへー。お得意様の意向だから尊重するよ。あんた敵に回すと和真の野郎までついてくるからな……割に合わん」
「どうでもいいんだけど、セット販売みたいな言い方やめてくれる?別に付き合ってるわけでもなし」
「というか噂流そうとしても誰も信じねえんだよなあ……おまえら少しは学校で接触しろよ……」
 わたしの抗議は無視して溜息をつく葛西。
「特に興味ないし。ああそうそう、図書室の例のうわさ、結構広まってるみたい。仲山さんのとこにも真偽を確かめに何人も来てるみたいだし。ついかでこれについても調べといて。結果はメールでいいわ……っていうかさ、わざわざ直接会う意味ってある?かなり面倒くさいんだけど」
「形式美ってやつを理解しろよな……それに文章で残るのは嫌いなんだよ」
 葛西は顔をしかめて言う。寂れた職員トイレのどこに形式美があるんだ、と思ったが無駄だと思ったので言わなかった。
「じゃ、よろしく。足りない分は今度何か奢って補填するから」
「あんま期待しないで待ってるぜい……」
わたしはそのまま立ち去ろうと思ったが、聞き忘れたことがあったのを思い出した。
「素朴な疑問なんだけど。わたしって1年生に名前知られるぐらい有名?」
「おい、自覚なかったのかよ…?」
 完全に呆れられた。おかしいな。わたしは平凡な高校生活を営んでるはずなのに。


                      ◆


 さて、授業もつつがなく終了し、放課後になった。
とくに買わなければいけないものもなく、例の件のこともあるので、白倉さんと一緒に帰るかなと思っていたら。
 教室の入り口にたたずむ眼鏡の人を発見した。………すごい嫌な予感。
「もしかしなくてもわたしに御用事だったりするんでしょうか」
「ええ、もちろんよ幽霊部員の坂下さん」
 眼鏡の文芸部部長はしっかりとそうおっしゃった。
わたしの目の前にいるこの方は、眼鏡が特徴の3年生、二本柳 縁 先輩である。
さっきから眼鏡を強調しているが、彼女を構成するパーツで一番目立っているのがそこだからで、特に他意はない。いまどき黒縁で分厚い眼鏡かけてる人も他にいないだろうしなあ・・・・まあとにかく、存在感がある人なのだ。
「さ、行きましょうか」
「あの、説明を希望したいんですが」
 手を掴まれ、ずるずる、と思ったよりかなり強い力でひっぱられながらも、そう抗議をするわたし。
「人手が足りないからいいからさっさと来なさい」
 試しに体重をかなり預けてみてもスピードを緩めることなくわたしを引きずってく部長。
 ……本当に文芸部なんだろうか。しかし、今日はイベントに事欠かない日だなと思う。
 ちらりと白倉さんを確認。クラスのみんなと遊びにいくみたいだとりあえず安心かな……明日、切り出してみるかな。おせっかいかも知れないけれど。

                   ◆

「終わった……なんとか終わった……」
「お疲れさまー」
 結局用事というのは部誌の会議と資料の運搬とその整理と分類……なんで全部いっぺんに一日でやろうとするんだろう……わたし部誌に投稿しないからすっごい会議暇だったんですけど。
 外はは見事に茜色である。もうすぐ日も落ちるんじゃないかなあ……はあ。
 今は、他の部員が去った後、部長と二人で後片付けをやっていたところで、それもようやく終わったところだ。
「あ、嘘、もうこんな時間!?」
 わたしが部室を見渡して、最終チェックをしていると、時計を見て慌てた様子の部長の様子が目に入った。
「あ、部長あとやっておきますから、いいですよ先に帰って」
 わたしはもうどうにでもなれ、といった心境だったのでなげやりにそう答える。
「そう?じゃあ鍵よろしくね」
 なんの用事かは知らないけど、かなり嬉しそうなようすの部長は、スキップしそうな勢いで部室を出て行った。
 ………まさか男じゃあるまいな。

                   ◆

 文芸部室の鍵をかけ、確認のためにドアを引くと、わたしはキーを指でくるくると回してみたりする。あとは鍵を返して終了だ。
「さてさて、帰るかなっと……」
 独り言を呟きつつ、職員室にむけて歩き出す。
 おや?まだ図書館に人がいるのかな?腕時計で時刻を確認する。あれ。とっくに閉館時間は過ぎてると思うけど……別に人自体はいてもおかしくはないのだが、その人影が制服を着ているように見えたのが少し気になった。
「ま、図書委員か何かかな。帰ろうっと」
 わたしが、そう口に出して再び歩き出した瞬間、頭の中から声が響いた。
『いーち』
 ――――え?
 ぞくり、と体に寒気が走る。寒気が走った理由ははっきりしている。その声から感じられる感情があまりにも。
『にーい』
 心の底から愉しそうで。
『さーん』
 でもものすごく冷たくて。
『よーん』
 声は休むことなくますます響く。まずい。何かわからないけどものすごくマズイ。
『ごーう』
 わたしは廊下を走り出す。
『ろーく』
 とりあえず外に出よう。この中にいてはいけないとわたしの勘が叫んでいる。声はますます大きく強くなる。
『なーな』
 もう部活の活動時間も終わっているためか、扉が閉じられている校舎の出入口に着く。
『はーち』
 ノブをひねる。ノブはピクリとも動かない。……落ち着け。まずは―――確認しよう。
鍵はもちろん内側から開けられるようになっていて、鍵はしっかりと開いている。
『きゅーう』
 近くにある窓にとりつき、鍵をあけ、窓を思いっきり横に引く。窓は1mmも動かなかった。―――肝が逆に据わった。
『じゅーう』
 大きく深呼吸をして、鞄から携帯を取り出す。液晶画面を見て顔をしかめる。
 画面には『圏外』の二文字。
……街のど真ん中なんだけどな。

さて―――どうしたもんでしょう。


                   ◆


坂下空音。現実的、非現実的を問わずあらゆる災厄に巻き込まれる少女。
これは彼女の日常をただ綴った、それだけの物語である。