4話 ハイウェイの澱 -1-


彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。(マルコ5:5)


                        ◆

『いや、こちらとしてもこのような事態になるとは思わなかった』
 変わった電話の相手――三山と名乗った人物は、すまなそうに言った。
 先ほどの接触から遠慮がなくなったのか、こちらに完全に狙いを定めたのかは分からないが、追うもの、追われるもの、共に速度を加速度的に増して現在もレースは続いている。
 車の性能差もあってか、こちらに追いつくことはできないでいるようだけど。
「で、どうすればいいのかしら? 私はああいった実体のない類の相手は苦手だし、何より一般人を二名乗せてるわ。なるべく早急な対応を望みたいのだけど」
 わたしたちが真の意味で一般人と言えるかどうかはともかく、リースさんは苛立った様子で電話に向かって皮肉っぽく言う。
『資料によると、"ゲサラ・レギオン"の性質は、霊的エネルギーを喰らって自己の増殖、拡大を図るのが第一目的であり、全てだ。名前の通りに時間がたてばたつほどに増えて、被害が拡大する恐れがある。現在は物理的な影響力は無いにしても、このままでは実体化し、手のつけられなくなる恐れもある。幸い、君達に標的は絞られてるようなので――そのまま高速を降りて、こちらの指定する位置までおびき出してもらいたい』
 三山と名乗った電話の相手はそう説明した後、滋賀県郊外をの住所を述べた。
「ちょっと……レギオンってあのレギオン? じょ、冗談じゃないわよ、それに人の話聞いてた? 一般人がいるって言ってるでしょう。私一人ならともかく、そんな危険な真似ができるもんですか」
 リースさんはカーナビにすぐさまその場所を入力しつつ、次々と車を追い抜きながら、文句をつける。
 わたしもレギオンとはまた大物が出てきたな、密かに思っていた。
『なに、流石に聖書に登場するレギオンそのものではないのだがね。似ているのでその名前が冠されているだけだよ。……ふむ、一般人、一般人ね。リース=シューヒライデン=大宮君。君はハーフ・ヴァンパイア。従って霊圧はさほど高くは無い。
まあ高くないといっても生粋のヴァンパイアに比べての話だがね。しかし、君の話だと"ゲサラ・レギオン"は執拗に君に――正確には君の車に固執している。まあこちらとしては有り難いが――さて、乗っているのは本当に一般人なのかね』
 チッ、とリースさんは舌打ちをする。
 そしてちらり、とわたしの方に視線を向ける。あ、もしかして気を使ってくれたのかな。
『リース様、気を使って頂いて有難う御座います。しかし、事態が事態です。私のことはおかまいなく。私の登録番号は甲―ツ―4です。まだ有効ならばの話ですが』
 鈴華の声は電話越しには伝わらないので、リースさんは意外そうな表情をした後、変わりに鈴華が言った番号を相手に伝える。
 鈴華と和真の話によると、対魔機関は日本に生息する妖魔の管理機関も兼ねているらしく、たいてい人に混ざって暮らしていたり、各地に留まっている妖魅たちも昭和の終わり――高度成長期に現在の対魔機関の機構が完成する時にあたって、名簿化されたという話をちらりと聞いた。
 それを聞いた時のわたしの感想は、ああ、実に日本らしい管理体制だなというものだったが。
 むろん、登録を逃れたり、未登録のモノは存在するので、この体制も完全というわけではないらしい。
 多分、鈴華が未登録の付喪神だと思って、いろいろ後でややこしくなるのを防ぐために存在を向こうに伝えなかったのだろう。
『まさか、御嶽家の守護鏡……いや、現在の所有者は坂下空音となっているようですが』
 電話の向こうから驚きの声が上がる。
「あれ、わたし名義になってるんだ」
 わたしもそれは意外だったので思わず呟いた。
 御嶽家とはわたしの母方の生家である。
『多分、大婆様が気を回してくれたのでしょう。あの方もあなたには甘いですからね』
「うん、わたしってそんなに可愛いげのあるひ孫とは思わないんだけど。なんでだろ」
『……そういう所が気に入ってらっしゃるのだと思いますが』
 そういって鈴華は苦笑したようだ。
「ちょ、空音。御嶽ってあの御嶽家? あなたあの家の関係者だったの? こっちの世界じゃ大物じゃない!」
 リースさんが驚きの声を上げる。
 優羅も小声で先輩、有名人なんですね、などと瞳を輝かせている。
 うーん、やっぱり御嶽家の名前って大きいのか……個人的にはあんまり好きじゃないんだけど。
「え、でもわたし何にも権利とかないですし、末席も末席ですよ。名字も違いますし。鈴華も正式には、所有というよりは、多分一時預かりという形になってると思いますけど」
 わたしは慌てて否定する。末席なのは母親がお決まりの如く勘当されてるという実にありがちな理由だ。
 わたしは四歳の時に両親と死別しているので、最近まではあまり親交もなかった。
『私は、空音以外を主にする気など毛頭ありませんが。危なっかしくてしょうがありません』
 鈴華はそう言うが、逆に鈴華に気に入られてしまったから、ややこしいことになっているとも言えなくもない。
『なるほど、それなら狙われる理由としては十分だ。お二方とも、正式に対魔機関からの依頼とさせて頂きたい。そのまま"ゲサラ・レギオン"を所定の位置まで連れてきて頂きたい。報酬は規定+報償として如何だろうか』
『了解致しました。ふふ、機関からの依頼など昭和の終わり以来ですね』
 鈴華は懐かしむように、そう優雅に笑うと、依頼を受諾した。
「……鈴華はいいと言っているけど、わたしは条件があるわ。関係者としても、一般人が乗っているには変わりがないわ。それにもう一人は純粋な一般人よ。念のために父を寄越して」
『……それは出来ない。君のお父上は特・甲種だ。生半可な事態で出撃は許可できない』
「どうせもう少々派手にやってもなんとなかる位の手配は済んでるんでしょう? それとも後からこの事態を知って、父の逆鱗に触れても私は知らないわよ」
『……上の許可が必要だ。私の一存では判断しかねる』
 リースさんはこの分からず屋、という表情をして携帯電話を睨みつける。
 わたしは特・甲種ってなんだろ、と思ったが、察するにランクみたいなもんだろうと思って質問は控えた。
『ともかく、交通量の多い、都市部への侵入は避けてもらいたい。現在、対処人員を向かわせているが、そちらの速さが速さだ。ヘリも手配しているが、上手く合流できるとも限らん。現在はまださほどの被害は出ていないようだが、このまま経過するとこの通話にも障害が出る恐れが――』
「だからパパを出せって言ってるでしょう! パパなら近くに来れば私の位置が分かるわ。だいたいそっちが招いた事態でしょう。出来る限りの対処をするのが誠意というものじゃないの?」
 リースさんは相手によく聞かせるためか、ハンズフリーにしておいた携帯をわざわざ片手に持ち変えて、大声で怒鳴りつけた。
『空音、一応簡易結界は車全体に張り終えましたが……やらないよりマシ、と言った程度です。それに先ほどから後ろの霊圧が徐々にですが上がりつつあります。このままでは物理的影響力も出てくる可能性が。そうなると正直なところ、私では手に余ります』
 ありがと、とわたしは鈴華に返して、後ろを伺う。やはり不気味なほどに大人しい。車間距離も一定を保ったままのようだ。
「先輩、なんか大変なことになってますね……私たちなんか蚊帳の外みたいですけど」
 優羅がわたしに小声で話し掛けてきた。わたしも蚊帳の外、というのには同意するけど、毎度のことながらこの娘も肝が据わっている。
 喧喧諤々と言い合いをしているリースさんをちらりと見ながら、わたしは携帯電話を取り出す。
 後ろの車を観察しつつ、アドレスを呼び出して掛ける。
 ツーコールで相手が出た。
「あ、もしもし和真?」
『なんだ、何か用か』
 電話の向こうからはジリリリリという電車の発車ベルらしき音が聞こえる。
「何、駅?」
『ああ、今から新幹線に乗るところだ。大した用がないなら切るぞ』
「いや、和真、前に対魔機関にコネがあるとか言ってなかったっけ。よければエルクさんの出撃っていうのかな、許可を取って欲しいんだけど」
『……ちょっと待て坂下。何があったか一から説明しろ』
 あ、やっぱり説明しないと駄目ですか。

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『……おかげで新幹線に乗り損ねたぞ』
 嫌味を言われた。今回はわたしのせいじゃないと思うんだけどなあ。
『いいか、さっき軽く調べた程度だが、十分に気をつけろ。お前は特にまずい。鈴華さんに護ってもらえよ。声をねじ込まれるぞ』
「あ、うん、気をつける」
 ……もうねじ込まれた後なんだけどね。
『それから、話は一応通しておいたので、追って許可が下りるだろう』
「お、早いね」
『何、電話一本だ。ああ、料金は今回は向こうからふんだくれそうなので別にいいぞ』
「それはどうも……」
 わたしが少し呆れていると、さらに和真は畳み掛けるように
『いいか、今回の奴はとにかく増える前に――』
 ――ブツ。切れた。
 高速だから電波の入りが悪いのは仕方ないかな、と思って掛けなおそうとした時、車外で物凄い音がした。
 グシャ、とかいう音の後にパリンとガラスが割れるような音が重なる。
 見ると、一台のワゴン車がハンドルを切り損ねたのか、高速の壁に派手に激突したようだ。一度激突した後、跳ね変えったようで見事に車体がひっくり返っている。
「まずい」
『まずいですね』
 リースさんと鈴華が深刻そうな面持ちでそう述べる。
「えっと、何がまずいんですか?」
 優羅が小首を傾げながら聞く。
「間の悪いことに、餌になるくらいに霊感の強い人がいたのよ」
『今ので霊圧が増しました……本格的に来ます』
 その時、再びリースさんの携帯が鳴る。リースさんの携帯も切れていたらしい。
「はい、……電波が悪いわね。よく聞こえない……電波障害? ……ぬ? 何ですって……? イヌ……狗?」
 そこで通話が途切れたらしく、リースさんは顔をしかめながら電話を置く。
「あのう……犬ってあれのことなんじゃないでしょうか」
 優羅がおそるおそると言った感じで車の斜め後ろを指差す。
 そこには高速で走る車に追いすがるように、頭だけが異様に大きい、一頭の黒い狗が居た。