4話 ハイウェイの澱 -2-


この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。(マルコ:5:3)

「うーん、首都高で案外時間をとられたのが痛かったわね。ちょっとしか乗らないってのに」
 リースさんはハンドルをトントン、と指で叩きながら
「まあ、事故も重なってましたし、仕方ないですよ」
わたしは後部座席からそうハンドルを握るリースさんに相槌をうつ。
 現在は中央道を車は走行中だ。リースさんは車を運転すること自体を楽しむタイプらしく、いたく上機嫌だった。
 途中のI.C(インターチェンジ)等で休憩を挟みつつ、わたしたちは一路、神戸を目指している。
 ハンドルを握るリースさんの話によると、夕方、遅くとも夜には神戸に着くということだった。
 優羅はといえば、最初は遠慮していたのか、後部座席で借りてきた猫みたいにおとなしくしていたが、リースさんともすっかりと打ち解けたようで、車の話題なんかで盛り上がっていた。あんまり盛り上がっていたので、わたしが助手席を譲ったくらいである。
 しかし、優羅がそんな趣味の持ち主とは思わなかった。なんでも、叔父さんが国際A級ライセンスを持っててその影響とかなんとか言っていた。
 わたしは大人しく高速道路からの景色でも眺めて過ごすかな、などと思っていたが、 高速道路って殆ど壁に遮られていて外の景色とか見えない、という現実にぶち当たった。
 むろん、見えるところもあるが、褪せた山肌とかコンクリートとか実に味気ない景色ばかりだった。……よく考えたら当たり前のことなんだけど。
 と、いうわけで暇を潰すべく、I.Cで滅多に読まない西村京太郎なんかを買って読んでみているのだった。
 しかし、やっぱりわたしには時刻表トリックは頭が痛いよ十津川さん。
 平走する車や、横を軽々と追い抜いていく車などを見て、当初は、やっぱり高速は速いなーなどと思っていたりしたのだが、慣れとは怖いもので、もうあんまり気にならなくなってしまった。
 鈴華はというと、わたしの横の座席で実におとなしくしている。
 もともと付喪神という存在は長く待つという行為は得意なので別段驚くべきことではないんだけど。それでも時折前座席の小型液晶テレビはしっかり見ているようで、時折テレビに向かってツッコミを入れていた。
「もうすぐ中央道から名神に入るから。そうしたら後少しよ。渋滞してないことを祈りましょう」
 リースさんはテレビのチャンネルをいじりながら、そうわたしたちに告げる。
「きっと大丈夫ですよ。ここまでは実に順調じゃないですか」
 優羅が根拠なくそう断言する。まあ実際ここまで怖いくらい順調なのだ。
 わたしはてっきり、ガス欠だー、バッテリーが上がったー、JAFに連絡だー、みたいなことになるのかと思っていたが、そんなこともなく。
 かといって、I.Cでも誰にも因縁をつけられたり、ナンパされることもなかったのだ。
 ……被害妄想に過ぎると言うなかれ。わたしは逆に何も起こらないと落ち着かないような人生を送っているのだ。言ってて少し悲しいけど。
 いや、実際にはこちらを見てヒソヒソ言ってた若い男性三人組なんかはいたりしたのだが。
 わたしはともかく、リースさんと優羅は容姿は抜群にいいからなあ……美人系と小さくて可憐系とタイプも違う。
 わたし? わたしは普通か良くて普通よりは少しくらいは可愛いとも言えなくもないんじゃないかな、という実に微妙なレベルであることを自覚しているので、この二人の前では刺身のツマみたいなもんである。
 わかりやすく表現するなら『リースさん≧優羅>>>わたし』といった感じだ。
 優羅は「先輩はスタイルがいいじゃないですか」と言うが、優羅の胸は平坦に過ぎるのであんまり参考になる感想とも思えない。
 まあ、そんなひがみっぽいことはともかく、ここまでは至って順調だった。
『まあ、神戸で何かあるのかもしれませんしね』
 鈴華は悟ったようにそう呟く。
 わたしと過ごした時間が長いせいか、もう何も起こらないなどとはこれっぽっちも思っていないようである。ちなみにわたしも同意見だったりする。半ば覚悟はして来たのでそれはいいんだけど、なるべく穏やかなトラブルがいいな、と思うのは人情であろう。
『――時ごろ、名神高速恵那I.C付近でトラックが横転する事故が発生し、車両四台を巻き込む死者1名、重軽傷者四名を出す事故になりました』
「あら」
「あ」
「これ、今から通るとこなんじゃ」
「そう……みたいね」
『亡くなったのは運送会社勤務の塚原茂樹さん(47)――』
「うわーすごいですね、完全に道塞いじゃってますよこれ」
 画面にはヘリによる上空からの映像が映っている。確かに優羅の言うとおり、トラックは斜めに倒れて一車線を塞いでいた。
『――間は交通規制による渋滞が発生していますので、ご走行の皆様はご注意下さい』
「……あら? このトラック」
 リースさんは何かに気づいたようにヘリからの映像を食い入るように見つめるが、ちょうどそこでニュースは終わって画面が切り替わった。
「……どうかしたんですか?」
 画面を注視して首をひねっているリースさんにわたしは尋ねる。
「いや、知ってる運送会社の名前が今見えたような気がしたんだけど……気のせいかな」
「え、今の映像でそんなの見えました?」
 優羅が驚いたようにそう言う。確かに文字が読めるような解像度の映像ではなかったが、リースさんは……
「あはは、これでもまあ一応半分くらいは吸血鬼なんだから。見ようと思えばあれくらい見えるわ。夜ならきっとはっきり見えたと思うんだけどね」
 リースさんは苦笑しながらそう言う。
「あ、すっかり忘れてました」
 優羅はどうやら本当に忘れていたようで、きょとんとした様子だった。
 こういうところは優羅のすごいところだと思う。彼女にとってはあんまり吸血鬼だとか人間だとかはあんまり意味のないことなのだろう、と思う。
 リースさんは優羅の返答に微笑を浮かべた後、後部座席のわたしに意味ありげな視線を送って、アクセルを吹かした。
 なんだろう、類は友を呼ぶとでも言いたいのだろうか。別にいいけど。


「でもまあ助かったわ。高速道路って一人で長時間走ってると眠くって眠くって……」
 ふああ、とリースさんは口元を手で押さえながら可愛く欠伸をする。
「確かに高速道路って単調ですからね」
 優羅が横で深く頷いて同調している。
「そうなのよ。音楽やラジオとか掛けててもどうしても瞼が重く……ま、そんなときは奥の手を使ってるんだけどね」
「奥の手?」
 わたしがそう問うと、リースさんは片手で器用に助手席前のボックスを開けて、
スプレー式の吹出口がついたちいさなビンを取り出した。
 よくある口臭スプレーのようなやつだ。
 リースさんはそれを優羅の手に落とす。
「眠気覚ましのスプレーですか?」
「うん、私にとっては何より効くかな」
 中に入ってる液体は暗い黄金色をしている。
 優羅はくるくる、と容器を回していたが、埒があかないと思ったのか、手の甲に向けて一吹きした。
「あ、やらないほうがいいかも、って遅いか」
「え?」
 優羅は吹き付けた手の甲に鼻を近づけて顔をしかめた。
「……にんにく?」
「ね、やらないほうがよかったでしょ。そこのボックスにウエットティッシュが入ってるから」
 リースさんはそう優羅に教えて、手から容器を奪い取り自分の口の中に一吹きした。
「うー、やっぱりこれ効くわ……」
 そして顔を思いっきりしかめる。そりゃまあ半分くらい吸血鬼なんだからそれは効くだろうと思うけど……というか大丈夫なんだろうか。
 心配そうなわたしの顔をバックミラー越しに見て取ったのか、リースさんは苦笑して、
「ああ、大丈夫ものすっごく苦いだけだから」
と言った。
「……はあ」
 と曖昧に頷くわたしに、リースさんはそうね、と少し考え、
「例えるなら生のゴーヤを齧った感じかな、近いのは」
と言った。 
 それはきつそうだ。というか生のゴーヤを食べたことがあるんですか。
「うう、私ゴーヤは苦手です……」
 ウェットティッシュで手を拭き終わった優羅がそうコメントする。
「ま、これはかなり濃縮してあるし、普通の料理だとちょろっと苦くてそれはそれでおいしいよ」
 ……吸血鬼もいろいろ大変なんだなあと思った。わたしには苦い餃子はあんまり美味しそうには思えないし。
「あ、あれって、さっき言ってた事故の現場じゃないですか?」
 見ると、反対車線は渋滞しているようで、車の流れが悪くなっている。
 先を辿って視線を移すと、確かに横転したトラックとなにやら事態の収拾に当たっている何人かの―――って、あっという間に通り過ぎた。
 まあスピードを弛めるわけにもいかないので当たり前なんだけど。
「派手にいってましたねー」
「……やっぱり」
 感心したように言う優羅と対称的に考え込むようにそう呟くリースさん。
 もしかして知り合いかなにかだったのだろうか。
『空音』
と、考えていると鈴華から声がかかった。
「ん? なに?」
『今、何か聞こえませんでしたか?』
「ううん、特に何にも。どうかした?」
 わたしは珍しく真剣な口調で問い掛ける鈴華にわたしはそう聞き返す。
『いえ……気のせいでしょう』
「……そういえばこの辺に確か事故多発で有名なトンネルがあったわね」
鈴華の言をうけてかどうかはわからないが、リースさんがそんなことを言う。
「うわ、怪談ですか」
 優羅がわざとらしく驚いた調子でそう反応する。
「まあ、お決まりの怪談だけどね。何でも窓の外を高速で飛ぶ女性の生首だとか、昔、高速バスが事故ってどうとか」
 バスの事故、という単語に少しだけ胸がざわつく。
「うーん、定番っぽいですね。実に胡散臭い怪談っぽいです」
 優羅が感心したように言う。
 まあ怪談のほとんどが出鱈目か勘違いなのでその感想は間違って……
「あはは、まあ、実際に出るんだけどね」
 リースさんはさらりとそんなことを言った。
「……はい?」
「いや、だから本当に出るの。もちろん噂そのまんまとはいかないけど、視える人は視えるんじゃない?」
「それ、放置しておいていいんですか……?」
 わたしは素朴な疑問を述べる。
「ん、まあ頻度もそんな出るわけでもなし、実際にそれで事故が増えてるというわけでもないみたいだから、放置みたい。一応、私からも機関に報告だけはしといたんだけどね」
「機関?」
 このへんの事情を知らない優羅が当然の疑問を差し挟む。
「ん、ああそっか。いわゆるわたしたちみたいなモノの管理をしている国の対魔機関。前身は陰陽寮……っていったらわかる?」
 陰陽寮平安時代に天文・暦数・報時・卜筮などを担当したお役所のことだ。まあ最近は安倍晴明ブームで有名になっちゃった感があるけど。
「あ、はい。なんとなく……って国の、なんですか」
「うん、そうみたい。税金の使い道って本当に不透明なんだなって、わたしはこの話を和真から聞いたときに思ったわ」
「先輩、税金とかそういうことではなくてですね」
 優羅はわたしに律儀にツッコミを入れてくる。
「まあ、下手に霊的スポット払うとたいへんなことになるらしいから機関の方針も妥当なところではあるんだけどね。わたしは龍脈とか霊脈とかさっぱりだけど」
「はあ、やっぱりいろいろ難しいんですねえ」
 優羅は感心したように言う。
「っと、もうすぐそのトンネルよ」
 速度落とせ、の表示がトンネルが近いことを知らせる。
 そのままなんとなく全員が沈黙を保ったまま、トンネルに入る。
 オレンジ色の光が車内を薄明かるく満たす。
 トンネルの内部と言うのは一種独特の雰囲気があって、違うもう一つの世界のようだった。
『……が……よ』『……のに』『きょうは……』『……お母』
 あ、本物だわこれ。そんなに強く聞こえないんでたいしたことはないけど。
「あ、ちょっとゾクってしましたねやっぱり」
 優羅は暖房が効いた車内で身を少し震わせる。
「あら、やっぱり感受性強いのね。まあ、わたしもそのくらいなんだけど」
「わたしもちょっと聞こえましたから、やっぱり本物ですね」
 トンネルを抜けてから少ししてから口々にわたしたちは言い合う。
『ちょっと待って下さい、空音? 聞こえたんですか?』
「え? うん、かすかにだけど」
 焦ったようにそう聞いてくる鈴華にわたしはそう答える。
 別段能力をOFFにしていたわけでもないから不思議でもなんでもない――ってまさか。
『私、トンネルに入ってすぐに遮断していましたよ……?』
「だとしたらちょっとまずい、かも。まあでも、ちゃんと聞こえたわけではないし……そこまでまずいわけでもないか」
『それはそうですが……』
 鈴華は霊的なものから、わたしが『絡まれる』のを防いでくれている。
 この付喪神さんは、霊とか、呪いとか、そっち方面の形のない脅威に対してはかなりの強さを発揮してくれる。並みの悪霊など鈴華は寄せ付けもしない。もともと鏡として祭典や儀式用に使われていたらしいので、これくらいは朝飯前だそうだけど。
「あら、わたしも感知とかは大の苦手だし、最近強くなったのかしら……この中では一番鋭そうだし、後で報告しておこうかしら」
 リースさんはそう顎にてを当てながら、目をしばたたかせる。
『そのほうがいいでしょう、さっき感じた不穏な気配もこれなのかもしれませんし』
「ああ、さっき言ってたのってそれ? 相変わらず鈴華は心配性だよね」
『どなたのせいかわかりませんが、ここ十数年でめっきりそういう性格になってしまいました』
 うわ、手痛い反撃がきた。反論ができないわたしは黙ることにする。
 それからしばらくは、トンネルのせいもあってかしばらく静かな雰囲気になった。
「何か音楽でも聞く? MDとCDがそこに入ってるけど」
 リースさんは全部と後部を繋ぐ部分を指差してそう言った。
「それでは失礼して……」
 などと言って優羅は意気揚々とボックスを開けてMDのラベルを読み始める。
 わたしも興味があったので一緒になって覗き込む。
「ええっと、ビートルズに、ディープパープルに……エンヤにエリック・クラプトンNightwishって私知らないですね……CHIE AYADO? あ、綾戸智絵さんですね。私も好きです」
「ごめんね、節操のないラインナップで。まあパパの趣味も入ってるんだけど」
 リースさんは苦笑してそう言う。
「いえ、なかなかよろしいラインナップで……Masasi sada……流石にさだまさしは日本語のほうがいいんじゃ」
「パパ、『親父の一番長い日』とか好きなのよね……困ったことに」
 それは娘としては困るだろうな、エルクさんがその曲を好きなのはイメージにあうんだか合わないんだか、とわたしはエルクさんの容姿を思い出しながらそう思った。しかしスポーツカーから流れるさだまさし。シュールだ。
『私は島津ゆたかを希望します』
 また鈴華も実に微妙なチョイスをする。というかなんでそんなMDまであるんだろう。
 そんな風にワイワイとやっていて、じゃあここは坂本九で、と妥協案に落ち着いた。これを妥協案として容認できるあたり、わたしも優羅も、あきらかに昨今の女子高生とはかけ離れているとは思うけど。
 その後、全員で『上を向いて歩こう』を合唱するというある種、異様な空間が車内に展開された。いや、楽しかったんだけど。
 異変が起きたのはその直後だった。
 ここから、急転直下、地獄で悪霊なカーチェイスが幕を開けることになる――。